トラウマは、身体で起こる。

最近のトラウマ治療の流れの中で、とても重要になってきている考え方で、

「トラウマ(心の傷)は、単に「語る」だけでは、回復につながりにくい。」ということがあります。

これは、トラウマはというものは、実は、

「身体」に残った、過剰な「ストレス」に対しての反応である

ということ。

ゆえに、トラウマ的な出来事は、しばしば、言語で語ることが難しいことが、関係しています。

何かの出来事が起こり、その人が、それを「ストレス」だと感じるとき、身体では、様々な反応が起こります。

(筋肉の収縮、自律神経系の過剰な反応、ストレスホルモンの放出など・・・。)

そして、セラピーでは、

ストレスに対して起こっている、

そういった「身体レベル」での反応に気づき、

解放、または調和させてゆくことで、

過覚醒(フラッシュバック・パニック・興奮・・)、低覚醒(解離、うつ、無気力)など、

いわゆる「トラウマの症状」からの回復も起こっていきます。

頭で考えて「語る」のみでは、トラウマの根っこにある「身体レベル」の反応に、変容をもたらすことが中々難しい場合があるのです。

私自身、「解放のフィジオロジー」というクラスで、

ソマティック・エクスペリエンスという療法をベースにした、身体・神経系の側面からの、癒しのアプローチを学ぶ中で

まず、自分自身の身体で「何か起こっているのか」を知り、

実際に、自分の身体が、どんな風に多くのストレスへの反応をしていたか(!)に気づき、

同時に、自分の中にある、ストレスから回復する力、「自己調整」の力を高めてゆくことで、

「今」を生きることが、昔に比べて格段と、からだごと、楽になってきました。

これは、自分の存在のあり方を、身体ごと、じわじわと変えてゆく、安全で、かつ深いところからの癒しのアプローチだなあ・・と、実感しています。

次回は、癒しにとても大切な、「リソース(資源)」ということについて、少し書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

California のJoshua Tree にて

 

 

 

 

 

 

 

冬至

ブログを、久しぶり書きます。・・あっという間に12月、師走です!

冬至の季節ですね。

一年のうちで最も日が短く、暗く、闇が深まる時です。

「どんな事にも、光と影がある・・」

と歌っているのは、私の大好きな歌手、Joni Mitchiel 。

Every picture has its shadows  どんな絵にも影があり
And it has some source of light そして光の源がある

陰極まれば、陽になる・・・

というように、闇がいきつくところまで極まれば、必ずそこには明るい光が、そっと、さし込みます。

こころの世界でも、同じかもしれません。

暗闇と光は、元来一つのもの。

たとえ、どんなに、人生でつらかったり 先が見えない、くらい 暗い、

闇夜に居るようであっても、

必ず、そこには光が生まれてきていることを、信じています。

 

日本では、冬至はゆずのお風呂で「禊(みそぎ)」(浄化)をする時でもありますね。

私も、「禊」じゃないけれど、この時期、自分の心の中を静かに見つめる時間を持とうと決心。

そして、自分の中のこころの中の闇、暗さを、少しばかり、抱きしめてみようと思うのです。

重さ、暗さ、自分の中の、あまり見たくないような、影の部分・・。

闇を抱きしめる時、必ず、ともし火ような、小さな光が生まれてくることを信じて・・。

 

私にとって2017年は、ほんとうに、色々なことがあり、変化の大きな一年でした。

中でも一番のよろこびは、このスペース「みわ」をひらけたことです✨

このあたらしい光、胸に、2018年へと向かっていきたいと思います。

2018年は、ワイルドにいくよ〜!(すぎちゃん風?)

😊

 

 

心の傷(トラウマ)

<「トラウマ」とは?>

「トラウマ」とは、強いストレス(ストレス=心や体に不快感を与える出来事)を受けた時にできる、「心の傷」のことを言います。(大きなもの、軽いもの、様々な種類に分けれますが、ここではざっくりと「心の傷」とします。)

「トラウマ(心の傷)」の症状としては

過覚醒(過緊張)、フラッシュバック、悪夢、解離症状、などがあります。

そして、たとえば

日常の中の原因不明の「しんどさ」。

対人関係でのうまくいかないパターン。

怒りなど、感情のコントロールのしにくさ 。

自責。

うつや不安。

不眠。

慢性的な疲れ。(慢性疲労症候群)

自律神経・免疫系の調整不全。線維筋痛症。

体の痛み。

心身症

・・・などといった、不調の背景にも、過去の「心の傷」が存在していることがあります。

<トラウマからの回復の段階>

トラウマからの回復のプロセスでは、大まかに、以下の三段階のプロセスを大切に、個々のプロセスを尊重しながら進んでいきます。

1.安全の確立(安定化)

まず、心と身体が「安全」を感ることが、とても大切になります。(過覚醒を落ち着ける)。

そして、自分の中にある、リソース(心と身体に心地のよい、力となる感覚)を育んでいきます。

環境の調整、食べること、眠ること、休むこと、運動など、基本的な身体のニーズを満たし、自分をケアしていきます。

2.記憶の統合(トラウマの処理)

リソースを育みつつも、身体や過去の記憶に残ったトラウマ的感情や、感覚に気づき、解放してゆくプロセスになります。

3.再結合(統合)

新しい自分のあり方で、周りの環境・コミュニティーとの関係をつくっていくプロセス。自分の新しいあり方の、統合。

そして、こころの傷からの回復のプロセスは、「身体」とのつながりの回復が、になっていきます。

次に、このトラウマと、「身体」の関係について、書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

こころの専門家はいらない?

 

「こころの専門家はいらない (2002)」という本を読了しました。

初め、このタイトルにドキッとしながら、読み終えた今、色々な思いが湧いてきました。

私自身、10年ほど前に、臨床心理学を学び始めてから、心の世界の奥深さに魅了され、この領域に夢中になりつつも、どこかこの「心理」の領域への「違和感」のようなものも抱いていたのです。

この本の中では、「こころの専門家」へのいつくかの問題提起がなされています。

カウンセリングの枠組み自体が、上下関係をはらみ、管理的なものになることへの危惧。

心理的な問題が、「個人」の悩みに還元されやすく、環境や社会とのつながりが薄くなっていること。

精神症状=治されるべきもの、社会への「適応」へ導かれるべきもの、という考え自体が、恣意的・管理的なものであるということへの疑問・・などなど、問題提起は多岐にわたります。

そして、「こころの問題」を、「こころの専門家」が囲い込むのではなく、古くからあったような、コミュニティでの横のつながり、自然な縁、「なじみの関係」の中で、ケアしてゆくことの重要性へ、と論はすすんでいきます。

なるほど、その通りだなあ。私自身が、「心理」の領域で違和感を感じていた部分は、こういうことからも来ていたのかもしれない・・と、読後に、数年来の違和感に言葉を与えてもらったような、嬉しいような感覚がありました。

そして、それと同時に、いや、でも、だからこそ、これからの時代にもやはり、何らかの形で「こころの専門家」は大事なものだろう。という思いとの、両方が湧いてきました。

 

時として、「専門家」であること自体、多くは無意識的に、上下関係を生むこと、管理的になる可能性を孕んでいます。ゆえに、「こころの専門家」は、自身の関わりが、何らかの暴力性をはらむ「可能性」があることを、常に自覚し、意識的になることはとても重要だと思います。そして、自身の拠って立つ、「心理的援助」の枠組みが、本当はどういうことをしているのかを、常により大きな目で問い直すことも。

一方で、残念ながら、あまりにも個人化がすすみ、もう以前のように素朴な「地域での自然なつながり」のようなものが、希薄になっている今の世界では、「つながり」のあり方の一つとして、そして、こころの問題を一緒に考え・感じ、変容してゆく場を提供するものとして「こころの専門家」はとても必要なものである、とも思います。

その存在は、人工的であっても、今の社会にとっては、本当に大切なリソース(資源)の一つ。

しかしもっと遠い未来に、「こころの癒し」は、どんな風に捉えられているのでしょうか・・・。もしかしたら「こころの専門家」なる者はいなくなり、「こころの癒し」というものが必要であれば、みんな自前でしている世界になっているかもしれない・・・などと夢想します。
それは、個人が、自分の力で癒しを日常で実践してゆく世界。そしてコミュニティの中でそれを共有してゆく世界・・・。
そうなったら、いいなあ。

 

でも、今の私にできることは、私自身が感じてきた、この臨床心理学という領域への「違和感」も大切に抱えつつも、その光の面も決して捨ておかないこと。

自分なりに、今の社会にとってリソースとなる「こころの専門家」としてのあり方を、これかも真摯に模索してゆくことを、もう一度、しっかり自分の心に誓いました。

 

(文献)こころの専門家はいらない 小沢牧子(2002)洋泉社

 

地球のお母さん。

声のヨガ @京都

「声」は、「こころ」と「からだ」をつなぐものだと言われています。

声は、世界にたった一つの、あなた独自のヴァイブレーション(振動)であり、エネルギー。

その人の声には、その人の「からだ」だけでなく、「こころ」の調子も表れます。

「喉」からだけでなく、「からだ全体」から声を出したとき、からだが楽器のように鳴り響き、

まるで自分の声の響きでマッサージをしているかのように、

詰まりが取れ・・

からだが開き・・

とーっても気持ちがいいのです。

「本当の自分」とつながり、気持ち良く声を出した時、

自然と、心とからだが「調律」されてゆきます。

 

そこは、歌が「うまい」とか、「へた」というものがない世界。

「本当の声」は、いつだって美しいものなのです。

そんな、「声」を使ったワークショップ、「ヨガ・オブ・ボイス」が、9月4日、京都で開催されるそう!

今回私もスタッフとして関わります。

一緒に声を使って、歌って、こころと身体を解放していきませんか?

集まったみんなで、気持ち良く「声のヨガ」を楽しみましょう。

ぜひ、こちらから✨

Yoga of the Voice 京都

 

写真は、カリフォルニアのヨガオブザボイスの先生、Silvia と。

神戸でのSilviaのワークショップを、通訳した時のものです。

 

 

「身に和をもたらす」こと ー「みわ」の由来

カウンセリングの場をひらく、と決めてから、「さて、名前(屋号)はどうしようかな・・」。

と、まるで、産まれてくる赤ちゃんの名前を決める時のように、あれか・・これか、と迷いながら、考えていました。

そんなある日、どこからともなく「 み わ 」という言葉が、ぽんっと浮かんできました。

「よし。「みわ」にしよう✨」

そのときの、名前を「いただいた」ような感覚が、いまも残ってます。

 

漢字は、「身和」とあててみました。

「身(み)」という言葉は、「こころと身体」、そしてそれを超えた、多元的な領域をも含む言葉だそう。

「和(わ)」は、(調和、ハーモニー)をもたらす、ということ。

 

「みわ」という言葉は、

「こころとからだのつながりを回復してゆく」ことや、

「すべてのものとの「調和」をめざしてゆく」

という、この場所を開くにあたっての心構えを表すのにぴったりのようです。

まだまだ産まれたてですが、これからも、「みわ カウンセリング 京都」を、よろしくお願いします!

 

 

セッションのご予約は、こちらのフォームよりどうぞ。