「ありのまま」でいるには? − ユングの「ペルソナ」と自然体

「ありのまま」という言葉は、最近、色々な所で良く見かけます。

映画、「アナと雪の女王」でも、エルサは歌います。

ありのーままのー自分になるのー♪

感動的な瞬間です。

 

 

 

 

それまで、自分の魔法を隠していた苦しみから、「本当の自分の姿」へと解放されるエルサ。

美しい瞬間です。

「ありのままの自分になることが、癒し。」

そんな言葉も、本屋さんでよく見かけるようになりました。

「ありのまま」に、「自然体」になれたら、すばらしい。本当にその通り・・。

 

でも・・いったい「ありのまま」って、どうしたらなれるの?

そもそも、「ありのまま」って一体何だろう?

 

そんな声も聞こえてきます。

「ありのまま」という言葉には、どうも一筋縄ではいかないところもあるようです。

 

<「ありのまま」だった赤ちゃんの頃>

生まれた時には、私たちは自然そのもの。

赤ちゃんは「ありのまま」で、生まれてきます。

食べたい時に食べ、欲しい時にもらえなかったら泣く。

本能的な、「 WANT ! (〜したい)」の欲求に従うのみ。

 

そしてそこから、様々な条件付が起こってきます。

お母さん、お父さん。家族。先生。友人。国。社会から・・・

「こうすべき」

「こうしたら、愛される」

「こうしないと、あなたは愛されない」

 

知らず知らずのうちに、外側から様々なメッセージを取り込み

私たちは、次第に「本当の自分」「ありのまま」という輪郭を、隠すことも学びます。

 

大人になる、という過程においては、赤ちゃんのときのように

「〜したい」という、自然な欲求を直接表現していた、「ありのまま」の姿から

少しずつ、自分を守るために、色々な「鎧」や「仮面」を身につけ、

「こうすべき」

「こうあるべき」

という自分を作っていく、ということも、起こっていきます。

 

それは、親や権威者に表される、「社会」への

適応のためにつくられていくもので、

ある意味、生きていくために必要な「守り」でもあるのです。

 

<ユングにとっての「ペルソナ」>

ユングという心理療法家は、社会適応のためにつけている、仮面のことを、「ペルソナ」と呼びました。

「ペルソナ」とは、古典劇で使われる「仮面」という語から来ているそう。

たとえば、私たちがつける仮面には、色々なものがあります。

「いい人」というペルソナ。「従順な娘」というペルソナ。「会社員」というペルソナ。・・・

そのペルソナ=仮面自体は、悪いものではありません。

ユングは、「ペルソナを持っていること自体は、問題ではない。

問題になるのは、その仮面が固くなり、その人と一体化してしまっている時だ」と語りました。

たとえば、「いい人」というペルソナを持っていて、あまりにも「自分=いい人」となってしまい、

それ以外の選択肢がなくなってしまうような場合。

そういう時、そのあり方は、問題になってきます。

なぜなら、その人の他の側面(たとえば「悪い人」の側面など)は、意識されない場所(=影、無意識)へと追いやられてしまい、

「悪い人」が、他者へと投影されるなど、意識がせまくなり、偏りが起こってくるからです。

 

 

 

 

 

<「ペルソナ(仮面)」との付き合い方>

では、人はこの、「ペルソナ」と、どんな風に関係を結んで行ったらいいのでしょう。

ユングは、

健康的なペルソナとの付き合い方は、「着脱可能」なものであるかどうか、が大事、と言いました。

つまり、「つけたり、はずしたりできる、自由がある場合、ペルソナも悪くない」のです。

成長した大人になると、様々なペルソナや、いわゆる「偽の自分」、「ありのままでない自分」がたくさんあるのは、自然なことです。

ただ、

そこから、どんな自分でいたいのか、選ぶ自由が、大人の意識にはあります。

その「自由」は、「自覚する(気づく)」ことから始まります。

今、自分は、どんな「ペルソナ(仮面)」をつけているのか?と、

それに、気づいていること。

そうすることで、それをつけ続けるのか、はずすのかを「選択する」という自由を、手に入れます。

私が最近思うのは、

仮面をつけた、「ありのままでない自分」に、「気づいている意識」もまた、

「ありのまま」の一形態なのではないか、ということです。

「仮面」だったり、「偽」の状態の自分にも気づいていること。

その「気づいている意識」こそ、選択する自由への入り口。それは、とても貴重な変化の始まり。

そんな風に思う、今日このごろです。

 

<「ありのまま」へ還る>

とはいえ、

生まれたての赤ちゃんのような、飾らない、無垢な「ありのまま」は、とってもパワフルです。

そこには、いのちの輝きがあります。

つまるところ、赤ちゃんのパワーを持った「ありのまま」とは、「自分の欲求(WANT)にすなおである」という状態に近いのかもしれません。

ゲーテは、「願望は、才能の予感」という意味の言葉を残しています。

どうしてか、湧き上がってくる「願望」、「〜したい」と願う心には、「才能(できる)」の予感がある。

「心やからだの底からの「〜したい(願望)」に従って動いてみると、

そこには、あなただけの「才能」、ギフトが輝いている。」・・・

そんな風にゲーテは言ってくれているように感じます。 とっても力強い言葉です。

 

私たちがこれまで自分に課してきた色々な「〜すべき」、制限などは、「他者」「外側」から取り入れたもの。

その「外側」に向いている意識に気づいたら、それを認めつつ、一度、ほーっと深呼吸してみましょう。

そして、今度は、自分の「内側」に意識を向けてみます。

内側からの「〜したい(WANT)」

という、欲求に従ってみることは、「ありのまま」、そしてあなたの「才能(ギフト)」へ近づく、第一歩。

そして、その「欲求」は、多くの場合、自分の「身体」から発されています。

「頭」のレベルではなく、自分の「身体(特にハート)」に気づくことは、その道を確かなものにしてくれます。

本当の「望み」につながる、「ハート」の知恵については、また別の記事で書きますね。

・・・・・

まとめると・・

*外側の「仮面」の自分も尊重し、今の選択に「気づいて」いること。

*そして、内側・身体からの「WANT (〜したい)」に気づいて、少しずつ叶えること。

こんなあり方が、成熟した「ありのまま」へ続く、道なのではないでしょうか。

 

千里の道も一歩から・・ということで、

私自身も、今日の晩のおかずは、何をたべたいのか・・・?

自分自身の身体にしっかりとたずね、

小さい WANT を、日常から叶えていってあげようと思います。

 

 

 

 

 

オプラのことば

 

冬至が過ぎて、クリスマスも過ぎ、もうあっという間に年末モードですね。

これから少しずつ、太陽の光が多くなり、日が長くなって来ます。

今日は、私が手帳に書き留めて、ときどき見直しては、大切にしている言葉を少し紹介したいと思います。

アメリカのTV司会者、オプラ・ウィンフリーの言葉。

・・・・

 

「あなたが今、人生という旅の中で、どんな場所に居ようと、

そこはまさに、あなたが居る必要がある場所です。

道は、いつも目の前にひらかれています。

私は、人生のすべての道のりに感謝しています。

うまくいったことだけじゃなく、

うまくいかなかったことについても。

たとえどんなにうまくいかなくて、最悪だと思える時でさえ、

いつも、最高の時へと準備をしているのです。」

オプラ・ウィンフリー

 

<原文>

“No matter where you are on your journey, that’s exactly where you need to be.

The road is always ahead.

Gratitude for the whole journey of my life – not just every thing that had gone right, but the things that had not.

Even the worst of times are always preparing for the best.”

・・・・

なんと、力強い言葉。

私自身、この言葉に、何度励まされてきたことでしょうか。

オプラは、女性で黒人の、マイノリティーとしての生まれを持ち、

幼い頃から、家庭でも、過酷とも言える生い立ちを持っています。

そんな過去を乗り越えてきたオプラだからこそ、出てきたように思う、本当に力強い言葉です。

人生という旅では、いいことや、楽しいことばかり・・というわけにもいかないことがあります。

本当に、しんどかったり、もう「救い」なんていうものは、ないのかも知れない・・

というほど、苦しいことが身に降りかかることも起こります。

本当に苦しい時、まるで、自分の人生にも見捨てられたかのような気持ちになった時でさえも、

私は上の言葉を読んで、ひとすじの光を思い出すような気持ちになって来ました。

・・・

たとえ、今どんな場所にいても、

そこは、あなたの居る場所。

そして、その体験は、いつも「最高」の時へと、準備をしている。

たとえ今は、そう思えないとしても。

・・・

見えない所で、いつでも、最高のあなたへの準備が行われている、と思うと、

少し、今の状況を受け入れ、前にすすめるように感じてきます。

逆境はいつも、さらなる成長、新しいあなたがいるよ、というメッセージ。

まるで、冬の見えない土の下で、春に向けて種が少しずつ、少しずつ、ふくらんでいくかのように・・・。

・・・

2018年は、集合レベルでも、大きな「変容の年」だったと言われていますね。

個人レベルでも、大きな変化や、癒しがあったり、

もう捨てて良いもの、古い信念が見つかったり、

新しいライフスタイルへと変わって来られた方も多かったのではないでしょうか。

何を隠そう、私自身もそうでした!

古いもの、必要のないものを脱ぎ去り、自分の本当に実現したいことを、自分に問うた一年となりました。

この「みわ」も、いっそう新しく、ワクワクと進んでいきたいと思います。

 

2019年も、あなたの心と身体にとって、良い年になりますように!

たとえ最も暗い時でさえ、

私たちの意識は、いつでも、成長の方へと向かっています✨

 

どうか、愛いっぱいに、温かく、良いお年をお迎えくださいね。

さささんの料理をしない料理教室

この間は、六甲山へ、ささたくやさんの「料理をしない料理教室」へ行ってきました。

でも、料理教室なのに、料理をしないとは、どういうことでしょう?

料理の写真を撮るためだけの、インスタ女子用の料理教室?

いやはや、違いました(笑)

 

では、この「料理をしない料理教室」で、何をしてきたかというと、

まずは、集まったみんなで、自分の「好きな食べ物」について語り合います。

そして、その食べ物を「おいしい」と思う時の、

自分や、他のひとの体験を、じっくり味わいます。

それから、いよいよ、一緒に一品(サラダ)を作ります。 ただし、イメージの中で。

その過程の中で、それぞれが、妄想をふくらませながら、順番にサラダの素材と出会い、味見しつつ、

想像の中で味の空間を作り、

それぞれの感じていることを、話し合い、シェアしていきます。

 

もちろん、サラダに決まったレシピ、分量はなく、

各人が、一皿になる野菜の質感、表現したい味の空間を、

想像(そうぞう)= 創造してゆきます。

「妄想」の果てには、それぞれが、自分の感覚と向き合った、まったく個性的なサラダが出来上がったのです。

 

ここでは、

想像力の大切さ、そして

お料理という日常の行為も「瞑想」になることを学びました。

 

瞑想とは、

五感を研ぎ澄ませ、

そこに「気づき」を持つこと。

そして、「想像」力は、「創造」する力。

 

ここには、日常の世界に、自分の作りたいものを、「創造」する時の、ヒントが溢れていました。

<創造のヒントとは・・>

・五感に「気づき」を持つこと。

・「好きなもの」に正直になること。

・「作りたいもの」のヴィジョンを、明確に想像してゆくこと。

・そのプロセスを、楽しむこと!

 

そのあとは、実際にさささんが作ってくれた料理(ローフードの火を使わない野菜料理)を味わうのですが!

これが、文字通り、目が飛び出るほど、おいしかったのです・・。

すべての感覚が開くような、「意識が変わる」お料理でした。

 

「おいしい」とは、舌に感じる「味」だけでなく、

食べる場所や、一緒に食べる人とのかかわり。

素材の背景にある物語(ex 大切な人が握ってくれたおにぎり・・)。

視覚から受ける、美しさ。

のみ込んだ後の、身体への影響、栄養。

ヴァイブレーション。

 

こういったすべての要素を、「おいしい」といただいているんだなあ・・と実感した時間でした。

これをきっかけに、どんどん「食べるもの」への意識が、変わっていきそうです。

 

 

 

 

 

 

 

食べるのに夢中で、撮れていた写真はこれだけ。インスタ女子への道は遠そう(笑)

これは一品目。この野菜を麺に見立て、手作りの甘酒をつけ汁に。

そこへ、味噌、練り梅干し、たくさんのハーブやフルーツなどの薬味類と一緒に、いただきました。

とてもおいしかったです。

なぜ、女性のサポートを? −「女性のためのカウンセリング」の理由

 

「女性が、自分らしく生きていくことの、サポートをしたい。」

 

こんな思いの「種」が生まれてきたのは、15年以上前のことでした。

修士論文のため、女性たちに、妊娠・出産の体験のインタビューをしていたころのことです。

 

インタビューのお話を聞く中で、

女性たちが、妊娠・出産・子育てといった出来事の中で、心理的にも、肉体的にも、さまざまな「痛み」を味わうこと。

そして時には、産まない・産めないことでの、「痛み」も味わうこと。

 

でも、その「痛み」と意識的に向き合ったとき、

こころの成長が訪れること。・・・

 

そんな、女性たちの生の声を聞きながら、

 

「この、女であることの「痛み」とは、いったい何なのだろう。

私たちは、なんのために、これを体験するのだろうか。」

 

という、素朴な問いと、その重みを感じたことを、思い出します。

 

その頃から、「女性性」について考えることは、

カウンセリングの仕事においても、

自分自身にとっても、とても大切だと感じ始めていました。

 

それからまた数年経ったころ・・。

 

私自身、アメリカでの出産では、思いがけない「痛み」を味わいました。

緊急帝王切開での出産で、母子のいのちは無事だったものの、様々な、傷つきも味わいました。

過剰な医療的介入も、ショックの一因となりました。

 

そして、その後は一息つく間もなく、怒涛のような子育てが始まります。

子育てって、こんなに大変だったんだ!と驚く日々でした。

もちろん、娘は可愛く、愛おしく、

かけがえのないよろこびや、尊さも味わいますが、

現実的に、ひたすら、忙しい日々の中、

手術の身体的なショックも相まって、今思えば、「産後うつ」のような状態だったと思います。

 

そしてその頃は、それらの「痛み」を癒すために、

自分自身、たくさんのカウンセリングや、ヒーリングも受けました。

 

このことがきっかけになって、内側にあった、自分自身の母—娘(自分の親との関係性)や、

「女性性」の問題ともっと向き合い、

自分との、そして身体との関係性が、より深く、より安定して育まれるようになっていきました。

 

そして今。

かつての「痛み」を、自分の人生に置かれた、忘れがたい「宝」のように

感じることができるようになったのは、なんと滋味ふかい、よろこびでしょうか。

当時は、ただ苦しいばかりで、痛みが「宝」で、自分の人生の「道しるべ」だったなどと、感じるようになるとは、想像もつきませんでした。

 

 

また、日本へ帰ってからは、特に社会の女性への目が、対等ではないこと。

お産のあり方、産後、子育てへのサポートが、十分ではないこと。

「母性愛神話」等の偏見、「良い娘・妻・母」になることへのプレッシャー。

などなど、様々な、時に日本特有の社会的な問題も、目に入ってきました。

 

カウンセリングで出会う、女性たちからは、よく、

こんな声が聞こえてきます。

 

「自分には、何か欠けている気がする。」

「自分に、自信がない」。

「どこか、劣っている気がする」。・・・

もれなく、私自身も、そんな声を持つ一人でした。

 

私がめざすサポートは、

女性たちが、ほんとうの「自信(自分への信頼)」を取り戻し、

自分の「ほんとうの望み」

に気づいてゆく、お手伝いをすることです。

 

そのために

少しずつ、「身体」という、私たちの「自然」とつながることをしていきます。

そして

これまでの、心のパターンに気づき、

心の傷つきを解放し、

人生を、自由に創造してゆくこと。

より、本来の自分になってゆくことを、お手伝いしていきます。

 

与えられた、この身体とつながり、自分をいつくしむ。

 

自分のことを大切にすることで、まわりも大切にする。

 

自分の「意識」を変えてゆくことで、世界を変えてゆく。

 

そんなあり方に、女性たちがなっていくのをサポートし、

道のりをご一緒できることは、本当にうれしいことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は、Katherine SkaggsのTarotカードより

 

 

 

Life is an art − 芸術とセラピー

 

大学生のころ、ヨーゼフ・ボイスという人の作品にふれることがありました。

彼の作品のキャプチャーに、「人間は誰でも芸術家である」という言葉が書いてあるのに、なぜか心が惹かれました。

 

 

 

 

ボイスの黒板

 

この「芸術家」とはどうやら、絵が上手いとか、音楽が得意だとか、いわゆる「芸術的」才能の持ち主、という意味だけではないようなのです。

ここでの「芸術家」とは、人間に生まれつき備わっている、「創造力」を使って、人生を、そして社会を形作ってゆく人のこと。

 

個人の記憶を思い出せば、ああ・・彫刻刀が使えないと泣いた、図工の時間。

いつまでも完成しない油絵。

音が取れないと怒られた、音楽のクラス。

でも「芸術」って、そんなことだけでは、ないんだね。・・・

 

すべての人間は、芸術家。一刻一刻、自分の人生を、社会を、形づくっている。

そんな発想が素敵だなあ、と思い、当時はボイスの、そして、その考え方にあるシュタイナーの思想にも、ひかれていきました。

 

もし、人生が、芸術作品だとしたら。

人間が皆、芸術家だとしたら。

私たちは、どんな風に日常を過ごすのだろうか。

どんなトーンで話すのだろうか。

どう、沈黙するのだろう。

私たちは、どんな人生を創造したいだろうか?

 

心理療法や、セラピーという営みは、

ときに、苦しみや、行き詰まり、病、といった形に表現された、「創造力」に気づき、

それらを、より自由な、「流れ 、Flow」にしてゆく作業だ、とも思います。

 

すべての苦しみ、病もまた、生命の一表現であるとするなら、

その生命力・創造力で、今度はどんな風に人生を、形作ってゆくのか。

それを支えるのが、セラピーの場です。

 

私たちセラピストは、すべての「芸術家」のサポーターだと思います。

人生を創造している、という意味での、芸術家の。

自らの本質である「自然」、創造力とつながり、

どんな風に人生を彩り、形づくり、表現するのか。

「永遠」の時と、つながり、

また、地に足つけて、日常を生きるのか。

 

そのための、変容の場所を、表現の場を、用意することが、私のお仕事です。

今日も、心から大切なその場所に、向かいます。

 

気持ちの良い季節

秋、気持ちの良い季節です。
鴨川ぞいを自転車でゆらゆら走っていると、甘いキンモクセイの匂いがしてきます。
実りの秋。食欲の秋。読書の秋・・。
秋は、何をしようかと、豊かな気持ちになりますね。
涼しい風に、心踊る季節が来ました。

先ごろ、森林食堂さん(京都のカレー屋さん)にお願いして、作ってもらってたショップカードができました。

じゃん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カレーが大好物の私。
去年、京都に来て、初めて食べたカレーが森林食堂さんでした。
そのとき、森林さんに置いてあったショップカードに一目惚れし、デザインをお願いしたというわけなのです。
まる形に、葉っぱのデザインが、とても気に入ってます。
森林さんは、カレーも、デザインもすばらしい。芸術家です。

ショップカード、これからどんな方にお渡しできるのか、楽しみです。

 

心理臨床学会での発表 −シャーマニズムと心の癒し

9月2日(日)は、心理臨床学会のシンポジウムで、発表をしてきました。

と言っても、実は私は、論文や発表関係は、めっぽう苦手なほう。
いただいたテーマ自体は大好きな分野だったのですが、
ここしばらく、発表準備にパソコンに向かっては、グタッ・・と挫けそうになることもしばしばでした(笑)。

今回のシンポジウムのテーマは、<心理臨床における「見えない身体」>というもの。

「見える」身体とは、いわゆる「肉体」で、物理的・生理学的なものを指します。
それに対して、「見えない」身体とは、こころと身体の「間」の領域。
いわゆる東洋で言う、「気」や、ヒーリングでの「エネルギー」、
ヨガの体系の中のチャクラの象徴に関係するような、「目に見えない」身体領域のことも含みます。

「目に見えない」だけに、ややもすると「あやしい」テーマと括られがちです(笑)。
でも、言語化や実証が難しい領域なだからこそ、今後も、いろいろな角度から検討し、
しっかりと語られる事がとても大切なテーマのように思います。

このような、「目に見えない」身体の領域は、古代から、様々な文化における精神的伝統において扱われてきました。
私自身は、アメリカなどに住んでいた頃、シャーマニズムに関連する癒しの方法を学んでいたこともあり、
今回は、「シャーマニズムにおける見えない身体」というテーマで発表させてもらいました。

発表の中では、シャーマニズムにおける、「病(やまい)」についての考え方や、その治療の方法。
そして特に、その「トラウマ治療」についての考え方を見てゆき、その方法論と、現代の心理療法との比較をし、
心理療法は、「インナー(内なる)シャーマン性」を育む場であることを、考察しました。
(またいつか、このブログでも、もう少し詳しく書かせてくださいね。)

シンポジウムを経て、「身体(リアリティ)」と「こころ(イメージ)」が結びつく、
「たましい」とでもいうような領域=「見えない身体」を大切にしてゆくことは、癒しにおいて 、とても重要だということ。
現代の心理療法において、この領域を考えてゆくことの大切さを、再確認しました。

今回の学会では、かつての恩師たちに、10数年ぶり(!)に再会できたのもなつかしくて、嬉しいことでした。
臨床心理学という分野の、最近の流れも感じたり。
学生に戻ったかのように、ちょっと緊張感もあり、よい刺激になりました。

とにもかくにも、無事終わって、ほっと一息・・。

しかしようやく夏の暑さも終わり・・と思っていたら、
思いがけなく大きな台風が来たり、北海道での地震など。
今年は、災害が心配な状況が続きます。

少しでも早く、落ち着いて過ごせる日常が、戻ってきますように。

 

 

ヨガ・オブ・ボイス2018 感想

先月の、Silvia先生のヨガオブボイス・ワークショップ、無事に終了しました。

しみじみ、楽しかった・・良かったなあー・・と回想しています。

 

通訳する傍ら、私がSilviaを見ていて思ったのは、

とにかく、まるで赤ちゃんのような目で、一瞬一瞬、「いま、ここ」に存在することを、楽しんでる・・!

ということでした。(時に戸惑うほどに笑)。

まさに、うたうこと=生きること。

というような、Silviaのあり方を体感した2日間でした。

・・・

実際に声を出しても、出さなくても、

私たちは、自分の「うた(バイブレーション)」を、身体から発しています。

 

普段、何気なく発している声(バイブレーション)を、

自分の身体、「本質」と一致させ、

宇宙、周りとも調和させてゆくこと。

歌うことで、こんなことができていきます。

 

「声」を聴く。

「声」で、つながる。

「声」から、インスピレーションを受ける。

「声」で祈る。

「沈黙」を聴く。

 

「うたうこと」とは、実は、「深く、聴くこと」から始まる、といいます。

これは、人生のあり方、

そして、カウンセリングの「あり方」=深く聴く にも、つながると思います。

声のヨガ、本当にとても、奥が深いです。。

 

今回は、WSの最後に、Silviaから、サプライズ?で、ヨガオブボイスのサーティフィケイトを頂きました。

びっくり& とても嬉しいです。

 

声のヨガ、Silviaのワークショップ@京都

 

今年も、「声のヨガ」の先生、シルビア・ナカッチが、来日します!

6月9日、10日は、京都で、二日間のワークショップ & ライブがあります。

シルビアは、私がCIIS(カリフォルニア統合学研究所)で、「声や音による癒し」を学んでいた時の先生です。

 

シルビアは、こう言います。

” Free your Voice! (声を自由に!)”

 

「声は、すべての人にある

美しいエネルギー。いのちの流れ。

「声」で、自由に表現することで、

心も身体も、自由になりましょう」

 

 

                              (写真はvox mundiのサイトより)

シルビアのワークショップは、いつも盛りだくさん。

声を開いてゆくメソッドである、ヨガ・オブ・ボイスの方法を学んだり、

インド、ブラジル、アフリカなど、様々な国の歌を歌ったり、

グループのみんなで、クリエィティブな声を使った遊びをしたり。

それはまるで、みんなで色々な国へ、自由に旅をするかのよう・・。

普段、

声が出にくいと感じる人。

自己表現しにくい人。

自分の声があまり好きではない人。

もっと歌うことを楽しみたい人。

声の神秘を感じたい人。

・・・

6月、シルビアと一緒に、声の旅に出ませんか?

パスポートのいらない旅行・・お得です!笑

 

私も9、10日京都は、通訳をしに行きます。 お会いできたら嬉しいです。

お申し込みは、こちらのサイトから↓

https://yogaofvoice.jimdo.com

 

リソース(資源)とは?

 

久しぶりの投稿になりました。

今回は、リソース(資源)ということについて。

前に別の場所で書いた記事に加筆したものを載せさせてもらいます。

<「私にとって」のリソース、牧場>

・・先日、近くにある牧場に行ってきました。そこは、街なかにある、とても小さな牧場なのですが、なぜかいつ行っても、心がほっこり、元気になるので、私の大好きな場所なのです。私にとってのパワースポットです。

 

その牧場の中は、一面、ふさふさと、やわらかいみどりの草でいっぱい。遠くから、木や草を焼くにおいがします。うきうきとした様子で、やぎやひつじに草をあげている娘の姿。じーんじーん・・と虫のなく声・・・。 ただひたすらに、平和だなあ・・。

 

そんな景色を眺めながら、あたたかいお茶を飲んでいると、体のぜんたいが緩んで、自然とお腹の底からゆったりと呼吸をするようになっていました。

行く前には何だかもやもやしていた心も体も、帰る頃には大きな伸びをしたみたいにゆるんで・・・よし、また明日からがんばるか・・・と、目の前がすっきりとし、うれしい気もちになって帰途につきます。

 

突然ですが、「リソース」という言葉を、聞いたことがありますか?

 

リソース=「資源」という意味ですが、心理学的には、「自分の心や体が喜ぶ、ものや、こと」のことをいいます。

自分の」心と体、というのがミソで、心と身体が心地よい、と感じる感覚は、その人の感性、個性によってそれぞれ違うものです。

(なので、たとえば、世間で「癒し系」と言われているキャラクターがあったとしても、もしそれを見て、「心地良い」感覚があなたの心と体には生じなかったら、それは、今のあなたにとってのリソースではないといえます。)

 

私にとっては、先日行った「牧場」は、心とからだが本当にゆるんで心地よく、やっぱり自分のリソースだわあ・・と実感しました。心と体が「心地よい感覚になる」=リソースとなる体験は、疲れていた心を元気にしてくれ、人生を豊かにしてくれるなあ・・と。

 

そして、少しずつ「リソース」の体験を増やし、深めてゆくほどに、過去からのトラウマ(ストレス)に対し、より安全に対処できるようになったり、未来のストレスからも、身を守ることができるようになります。

 

この「リソース」を、日常の中で意識してゆくにつれ、「こころとからだ」、つまり、「命(いのち)」の流れは、ますます力を増し、喜びます。

日常の中で出会う「リソース」は、たとえば、こんな領域にあります。

・・・・・

モノ (例) 好きなお茶、ほっとできる食べ物、好きなキャラクター、ぬいぐるみ、着心地の良い服・・etc ・・

場所 自分にとってほっとできる場所。カフェ、ソファ、自分の部屋のかたすみ、石の上、温泉 etc・・

自然 何といっても自然は、心と体をリラックスさせてくれます。山、海。花を見る、木に触る。また、土を触る、焚き火を見る、水(川、湖)、新鮮な空気に触れる etc・・

関係性  安全な人。ほっとできる人、好きな人。安心できるグループ ex 家族、友達、知人、先生、ペットetc・・

  「知る」ということが、力になります。好きな学び、知識など。

感情 自分が心地よいと思う感情。よろこび、朗らかさ、慈悲、ワクワク etc・・

からだ  身体のどこかで心地よい、と感じることが、リソースです。手足、胸の温かさ、額の涼しさ etc・・

クリエイティブ・趣味  ヨガ、おさんぽ、音楽を聴く、お笑いをみる、本を読む、歌をうたう、盆栽 etc・・

スピリチュアル 瞑想をすること、大いなる存在(仏、女神、神話の存在 etc)、宇宙的な意識へ思いを馳せる etc・・

・・・・

一人でできる、リソースを育むエクササイズ✨

「リソース」は、多ければ多いほど、ストレスに対処しやすくなっていきます。そこで、上のような領域を意識しながら、リソースを育むエクササイズをご紹介します。

 

1︎ 自分にとってのリソース(心地よい感覚になるもの、こと・・のリスト)を、一度、紙に書き出してみます。
絵や好きな人・動物の写真などを貼ってもOK。マップみたいにしても。書くと、具体的になり、見るだけで、そういえばこんなリソースあったな。と思い出しやすくなるので、良いです。

そして、もし、すぐにぱっと何も思いつかなくても、全く心配いりません。私たちの中には、いつも、たくさんのリソースの「種」が眠っています。

これまでの人生の中で、支えになったこと、一つでもOK。

自分が、ここまで、生きてきたという事、そのものが、なによりのリソースかもしれません。

日常の中で、少し心が惹かれるもの。ほっとしたもの。何に、私の体と心はよろぶのかな?・・・ほんのささいなことからでいいです。

小さなアンテナを立てながら、ちょっとずつ、「自分にとって」のリソースを、新しく発見してゆく楽しみもあります。

できてきた紙に色を塗ったり、お気に入りの写真を貼ったりして、リソースのボードを作って、机に置いたり、リソースを書いたメモを手帳に入れて、疲れた時にそっと見るのもいいです。

ちなみに、私の机の上は、リソース用の小さいスペースがあって、そこに、好きな石や、置き物、好きな言葉を書いたメモ、いい匂いのするロウソクを置いて、時々見ては、ちょっとふわ〜と、ゆるむようにしています(笑)。

 

2︎ リソースを感じて、呼吸をする

リソースだなあ、と思うもの、景色・・etc に出会ったら、それを五感(色、音、香り、味、触感)で感じつつ、ゆったり、ゆっくりと呼吸してみましょう。五感で感じながら、呼吸することにより、体と心のより深いところに良い感覚がとどきます。そのリソース体験は、小さくとも、必ずあなたの力へとなっていきます。

 

 

 カリフォルニアの、シャスタ山の川縁