近くのおすすめのお店(カフェなど)

オフィス(白亜荘)に予約の時間より早く着いてしまったときや、

京都の観光を兼ねて、少しゆっくりしたい・・というときのために、

できるだけ白亜荘からすぐの、カフェやお店などを少しご紹介しますね。

(閉まっている時があるので、事前にHPで調べるのが吉です。)

 

 

 

 

 

・クラークハウス

白亜荘から徒歩7分ほどの、喫茶店・定食屋さん。ランチの時間は、学生さんたちや地元の人でにぎわっています。
https://www.clarkhouse-kyoto.com/

・カンフォーラ

白亜荘から一番近いカフェ(食堂)でしょうか・・。京都大学吉田キャンパスの正門入って左手すぐ。
京都大学の生協が運営している食堂で、学生以外でも誰でも入れます。お昼は混んでいる時も。
定食・デザート・飲み物などがあり、比較的短い時間でも利用しやすそう。(現在、飲み物だけの提供はないそうです。)
https://twitter.com/camphora17

・京大内には、時計台のタリーズコーヒーもありますね。
https://shop.tullys.co.jp/detail/1000556

・茂庵

事前にHPからの予約が推奨。白亜荘から、吉田山の中をゆっくり歩いて20分〜30分かかります。
吉田神社の方へ向かって、山登り気分で歩きます。(ぜひ、時間に余裕があるときにどうぞ。)
ほぼ山頂に、「茂庵」の看板が見えたらまた奥に進むと、木造のとても素敵なカフェが見えてきます。
古い建物は趣があり、窓からの景色もよく、ゆっくりできますよ。飲み物もケーキも、とてもおいしいです。
天気の良い日には、ゆっくりと、吉田神社〜吉田山を散策するのもおすすめ。
https://www.mo-an.com/

・たことケンタロー

とってもおいしい、たこ焼きのお店。通称「たこけん」さん。ここの店長は、昔、白亜荘に住んでおられたこともあるそう。
色々な種類のたこ焼きはまん丸で、どれもおいしいです。ランチのたこ飯+たこ焼き定食も、ボリュームたっぷり。
紹介記事:https://www.life-info.co.jp/takotokentaro-2/

・woven

近くにあるとても雰囲気のあるコーヒー屋さん。
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260302/26035636/

・珈琲ゴゴ

京阪の出町柳駅近くの珈琲屋さん。レトロな店内が素敵でした。(喫煙可なので、タバコ煙が苦手な方はご注意。)
サンドイッチやコーヒーがおいしかったです。(コーヒーフロートや、クリームソーダもおいしそうでした)。
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260302/26001097/

・進々堂 京大北門前

レトロな建物で、京都っぽいミルク入り珈琲や、シンプルな定食などいただけます。
白亜荘から少し歩きますが、京大生や観光の方でにぎわっています。
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260302/26001845/

・圓田 YENTA(2024年現在 水・金曜のみ)

歩いてすぐの、とっても美味しいパン屋さん。カンパーニュ、サンドイッチ、バナナブレッドなど、なんでも美味しい。
いつも大人気で、お昼近くの時間は大行列で中々買えない日も・・。
買いたいパンがわかっていたら、事前に予約(LINEみたいです)して、
すいている時間帯(午後)に取りに行くのがベターのようです。
https://www.instagram.com/yenta.bread/

・・・

他にも色々ありそうです・・。リンクなど、随時、アップしていきますね。

 みなさんも、白亜荘近辺で良いお店見つけたら、また教えてください^^

 

白亜荘でお待ちしてマアス

身体の声を聞く2024年

気がつくと、前回書いた時から、随分時間が経っていました。

ブログを超サボり気味の金山ですが、2024年も、どうぞ、よろしくお願いいたします✨

年明けには、さまざま揺れがありましたよね。・・・色々な思いの方が、居られるかと思います。

何があったとしても、この一年が、良き年となりますように。。

みわオフィスでも、ささやかながら何か、できることを探していく決心です。

 

個人的には昨年、Somatic Experiencing®︎(ソマティック・エクスペリエンシング:通称SE)という、

身体指向のトラウマ療法の、認定プラクティショナーになりました。

仲間たちと3年間、身体と自律神経のしくみ、様々なトラウマの機序を学び、

身体の持つ自己調整の力(自然治癒力)を、どのように臨床で生かすのかを、みっちり学んできました。

実は、このSEを学んでから、私の中で、これまで学んできたセラピーの方法や、瞑想の体験などが、

さらに熟成・統合され、アップデートされていった感があります。

癒しを学ぶこと、セラピストとしての自己を整えることは、きっと、一生続く過程なのだろうと思いつつ、

さらに安全に(楽しく)、トラウマの解放をサポートできるようになってきているのを実感して、嬉しい☺️

心理療法と組み合わせた、SEのセラピー、おすすめです✨

 

・・・そもそも、私たちの「苦しみ」や、「トラウマ」とは何なのか?

そしてなぜ、「心」の問題でも、「身体」をみてゆくことが大事なのか?

セラピーで、「声」や「音」を使うといいのはなぜ?・・・

などなど、これからお伝えしてゆきたいこともたくさん。

ポツポツと、こちらのブログでも書いていきますね。

のんびりと、お付き合いくださったら幸いです。

 

良き年になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

&Premiumさんに掲載

みわカウンセリングは、京都の「白亜荘」という、味のある建物にオフィスがあるのですが、

そこのお仲間たちと、毎月10日は、「白亜荘も十日市」という、催しに参加させてもらってます。

その市を、&Premiumさんに、取材していただき、みわオフィスのお部屋もちょこっと載せていただきました。

今月号の「京都さんぽ部」、良かったらお手にとって見てみてください☺️

 

 

自律神経と心の関係(2)トラウマのできるしくみ

前回の、自律神経と心の関係(1)では、<本来の、心地良い自律神経のリズム>=「自己調整」

ということについて、お話ししました。

このようにして、「自己調整」の力が安定してくると、安全に「トラウマの解放」をすることが可能になってきます。

 

今回は、もう少し詳しく、では「トラウマ」とは一体、何なのか?

自律神経の視点から見ると、トラウマは、どんな「しくみ」でできるのか?・・について、見ていきたいと思います。

 

まずは、イメージしやすいように、野生動物の例で考えてみましょう。

ある草原で、うさぎが大きなライオンに見つかり、追いかけられることになったとします。

うさぎにとっては、もうトラウマになってしまいそうな、大きなストレス状況です。

何かストレスに遭遇すると、動物の自律神経は、「戦うか・逃げるか」の、交感神経へとスイッチがオンになります。

うさぎは、一瞬「戦おうかな?」と振り向くのですが、

相手が自分より大きくて強いライオンだとわかると、全速力で逃げ出します。<「動く」モードの、交感神経>。

 

 

 

 

 

 

でも結局、ライオンに追いつかれてしまいました・・・😭

「もう、「戦う」ことも「逃げる」こともできないんだ・・」となったうさぎは、

そこで自動的に、動けなくなってしまいます。いわゆる、「死んだフリ(擬死)」です。

自分にとって、あまりにもストレスが大きく、戦うことも、逃げることもできない場合、

動物の身体は勝手に、「凍り」ついて、「動けなく」なります。<「おやすみ」モードの、副交感神経>。

これらはすべて、身体・自律神経が瞬時に判断をして、自分の身を守ろうとしてくれるのです。

 

でもなぜ、「動かない事」で、身を守ることになるのでしょうか?

それは、捕食者は、「獲物がもう生きていない」と感じると、一旦、獲物から離れることがあるからです。

ライオンが油断したその隙をみて、もしかしたらうさぎは、また走って逃げるチャンスができるかもしれません。

またもし、最悪、襲われてしまったとしても、凍りついて感覚を麻痺させていることで、

「痛みを感じないですむ」という利点もあります。(この時に出る物質は、「天然の麻酔」と言われます。)

 

<野生動物はなぜ、トラウマにならないのか?>

トラウマ療法の分野の第一人者に、Somatic Experiencingというセラピーを開発した、Peter Levineという人がいます。

彼は、野生動物たちがこのように、日常的にトラウマになりそうな、ショックな出来事にたくさん出会っているのに、

その後、人間のようにはトラウマの症状が見られないことを、疑問に思いました。

そして、研究を重ねた結果、あることがわかったのです。

それは、野生動物たちは、「死んだフリ」で動けなくなった後、

再び立ち上がる際に、<ブルブルっと震えている!>ということだったんです。

 

野生動物の生態のビデオなどを見てみると、良くわかります。

捕獲されそうになって、倒れていた動物が、立ち上がるまえに、確かにブルブル震え、その後に目覚めたようになって、

また何事もなかったかのように、走り出す姿が、写っています。

どうやら、野生動物たちは、ショックな出来事により凍りついた、「戦う・逃げる」のエネルギーを、

本能的に<震えること>で、解放(ディスチャージ)をしているのです。

そのため、野生の動物は、その後、トラウマの症状になっていかない、ということがわかってきました。

 

その一方、人間は、どうして「震え」が起こらず、トラウマの症状へと発展していってしまうのでしょうか?

実はそれは、人間が、「理性脳」と呼ばれる、前頭葉が発達していることに理由がありました。

人間は、大きなショックになる出来事が起こり、凍りついた後に、

この本能的な「震え」や、「凍りついたエネルギーを解放する」という身体の自然な動きを、

「そんなことはおかしい」「やめとこう」などと、理性でストップさせていることが多いことがわかったのです。

この人間の「理性脳」の特徴が、身体が持つ本能的な「自然治癒力」の発揮を、阻んでいたのですね。

 

そしてこの、「凍りついたままのエネルギー」が、人間の日常生活に、様々な症状

(フラッシュバック、解離など・・)や、困難を引き起こしていきます。

また、「凍りつき」が起こっている水面下では、本当は、戦う・逃げるに使いたかった、

膨大な「動くため」のエネルギー(交感神経)が渦巻いています。

 

ですので、私たちのセラピーでは、少しずつ、「身体」という、本能的な領域に、安全にアクセスができるようにし、

この「凍りついた」エネルギー、言い換えれば、

副交感神経から出られない(動けない・麻痺・解離などの低覚醒)」状態か、

もしくは、「交感神経から出られない(戦う・逃げる・イライラ・・など、過覚醒)」状態を、

いかに自己調整の力を保ちつつ、<安全に>解放し、落ちつけてゆくか、ということを、ていねいにやっていきます。

 

凍りついていたトラウマのエネルギーが、安全に解放され、安定すれば、

それは再び、「流れ」として身体に戻って来てくれるのです。

そしてそれは、日常をより自由に創造するためのエネルギー、生命力となってくれます。

 

・・次回(3)へ続きますね。

 

貴船の方は、床を準備中でした、涼しげですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自律神経と、こころの関係(1)

今日は、<自律神経と、こころの関係>についてお話しします。

私が、カウンセリングの中でいつも意識していることの一つに、

その方の「自律神経の状態は、どんな状態なのか?」ということがあります。

なぜ、「こころ」のことを扱うのに、「自律神経」が大事なのでしょうか。

それは、<「心の状態」が、「自律神経の状態」と強く結びついているから>です。

そして、「自律神経の状態を整える」ことで、「心も整ってゆく」からなのです。

 

自律神経には、大きく分けると<交感神経>と、<副交感神経>があります。

交感神経は私たちを活動的にして、副交感神経は、消化・お休みさせてくれるものです。

私たちが普段、調子が良いとき、健康な時は、この自律神経の<動く>と<おやすみ>の二つのモードを、

行ったり来たり、柔軟に繰り返しています。

 

たとえば・・・

何かを見て、びっくりした。心臓がドキドキして、手に汗が出た。 <交感神経の活性化モード>

すると、自然に、ほーっとため息が出た。一息ついて、コーヒーを飲む。<副交感神経のおやすみモード>

そして、また動く <交感神経>・・・

というように、そこには、<活性化 〜 沈静化>の良いリズムがあります。

 

ところが、です。

人生の中で、何か大きなストレスがかかったり(ショックトラウマになるようなもの)、

小さいストレスでも、何度も恒常的に繰り返された(発達性トラウマなど)場合、

私たちの神経系は、本来の「しなやか」なリズムを失ってしまうのです。

私たちが心や体の「不調」を感じるとき、そこにはほとんどいつも、自律神経系のリズムの「不調」があります。

 

交感神経が過剰になっている不調(過覚醒、怒りっぽい、眠れない、多動、パニック傾向など・・・)

または、副交感神経が過剰になっている不調(うつ、ぼーっとする、動けない、引きこもり、解離など・・)。

もしくは、そのどちらもが同時にある・・など、その「不調」は、心・体の症状として、さまざまな現れ方をします。

 

ですので、まずは、自分が<今、どんな神経の使い方をしているのかな?>と、

自分の<自律神経の使い方のクセ>に、「気づく」ことが、鍵になります。

そして、そこから少しずつ、自分にとっての「しなやかな自律神経のリズム」を、

もう一度、体のレベルで思い出してゆくのです。

それには、まずは自分にとって、「安心できる・心地の良いもの(=リソース)」を感じること、

心地よさを集め、感じてゆくことが、良いスタートになります。

「心地の良さ」は、私たちの神経系を、二つの神経の極から出られない「過剰さ」から、

今・ここにある、「ニュートラル」なゾーンに連れてきてくれるのです。

 

また、たとえ、過去にどんなひどいトラウマなどがあっても、どんなに大人になってからでも、

自律神経のあり方は、繰り返しの働きかけにより、「変化させてゆくことができる」という研究結果があります。

これは、「神経の可塑性」と呼ばれます。

私は、この「神経の可塑性」ということを、自分自身の癒しの体験や、

クライエントさんたちが変化されてゆくのを見ても、実感しますし、心から勇気をもらっています。

 

たとえ、どんなに今の不調がしんどいものだったとしても、今、そのことに気づき、

少しずつ新しい神経のパターンを積み重ねてゆくことで、

<本来の心地良い自律神経のリズム>を取り戻すことができること。

自律神経を調整してゆくことは、自分の「自然なリズム、自然治癒力」を取り戻していることなのです。

 

カウンセリングの中では、一緒に、今のご自身の自律神経のあり方に意識を向けつつ、

さらにご自身の<自然治癒力、良いリズム>へと調整し、変容を積み重ねるサポートをしていきます。

・・・(2)に続きます。

 

春ですね。小人たちも、川遊び。

 

 

冬至によせて

今年も、冬至の季節がやってまいりました🕯

一年で最も夜が長く、暗い季節。でも、その暗闇の中だからこそ、内側からの光がきわ立つ時期です✨

皆さまの心の中で、今年、うれしかったできごとや、心に残ったことは、何だったでしょうか。

悲しみや、ネガティブに見える出来事でさえも、きっと私たちのレジリエンス(回復力)を、強くしてくれています。

2022年のよろこびや、光がともるような出来事を、思い出して、感謝するのにもいい時期ですね。

 

私は、先月に、奈良で「セルフ・コンパッション」 についての講座をさせてもらったことが、心に残っています。

<日常で、自分自身に「慈悲・思いやり」を向けるということを、どう実践してゆくのか?>についての

お話しと、ワークを紹介させてもらいました。

 

「慈悲」ということを、「宗教的」な視点からというよりも、「自律神経」のしくみの視点から、

「心」のしくみから、お話できたこと、そしてそれを受け取っていただけたことは、とてもうれしい出来事でした。

慈悲(コンパッション )のメディテーションが終わったあとに、ある参加者さんが話に来てくれました。

 

「・・このコンパッション(慈悲) って、すごくなつかしい感じがしました。

うちのおばあちゃんが、よくお仏壇の前で話してくれていたことを思い出したんです。

自分へのやさしさが、人へのやさしさにつながってゆく。 みんながつながっている。

ということなんですね・・。」 と。

そのお話を聞いて、なんだかじーんとうれしい思いがしました。

 

「セルフ・コンパッション 」って、

コンセプトとしては、最近(アメリカのNeffさんが中心に)研究して形にされたものですが、

もとは、アジアや日本にも古くからあった、仏教の流れが土台になっています。

コンパッション=慈悲 とは、私たち皆が、もともと、持っているものなのです。

ご先祖さまたちから受け継いできた、精神性の伝統の中で伝えられてきたものを、

現代の人や、西洋人にも受け取りやすいように方法論として再解釈してくれたもので、

根っこ自体は、新しいものではないんですね。

 

「慈悲のこころ」、「自分や、他者の苦しみに気づき、思いやりを向けるこころ」。

それはすでに、私たち一人一人の細胞に、刻み込まれています。

ではもともと持っている、「慈悲=コンパッション 」やさしさの心を、

具体的にどうしたら、思い出すことができるのか?

そしてそれを、自分自身へ向け、実践することができるのでしょうか?

 

それにはまずは、「気づく」ことから始まります。自分の「心地よさ」に気づき、

「苦しみ」にも気づくこと。「マインドフルネス=気づき」が大切です。

そして、気づいたら、今度は自分へ、必要なケアや思いやりを、届けてゆくのです。

 

また、コンパッション を思い出すもう一つの鍵は、「身体」の状態にあります。

現代の私たちは、「あたま・思考」に集中しやすく、「からだ」は結構、忘れがちなのです。

自分自身・そして他者とのつながりの窓口である「身体」につながること、その状態に気づくこと。

それは、「自律神経」の調整にもつながっていきます。

身体につながることを習慣にすることで、心地良く、やさしさを持って、自分自身のこころとも、

関わりをもてるようになっていきます。

 

そうして自分自身へ思いやりをむけ、自分との関係が良くなればなるほど、

他人や、周囲の世界との関係も、良くなっていくというのが、すてきですよね。

「私たち」は、分かち難くつながっているのです。

 

「平和」とは、まずは個々人の、こころの平和からはじまるもの。

私も自分自身のワークにいそしむとします^^

心や体をどのように調和させてゆくのか?についての、具体的な方法やコツ、自律神経の考え方なども、

もう長らく、色々な所で学んできたので、お伝えしてみたいことがたくさんです。

これから、実際にお役に立てること、楽しいこと、いろいろとお届けしていけるようにしていきますね。

 

それでは、

2023年が、みなさまにとって、気づきや、光、よろこびに満ちたものとなりますように。

こころより、お祈りを込めて。

 

 

 

 

セルフ・コンパッションと、セルフケア

 

11月に、奈良県で「セルフ・コンパッション(自分への思いやり・慈悲・やさしさ)」

についての講座をすることになり、今、資料を作っています。

この講座、すごく楽しみなのです。

 

資料をまとめていても、本当に

セルフ・コンパッション=「自分に思いやりを向けること」

「自分の心身がニーズ(必要としていること)に気づき、それを満たしてゆくこと」

って、セラピーや心の癒しにおいて、大切なんだなあ。

本当にたくさんの人に、このことを知ってもらいたいなあ!

という思いが増すばかりです。

 

たとえば・・

自分に対する批判(自己批判)で、悩んでいる人が居るとします。

私自身もそうでした。

昔は特に、自分の内側の「批判さん(自分を批判する心の声)」の活躍っぷりといったら、もう・・

ことあるごとに、脳内に「ダメ出し」の声がありました。

でも当時は、自分の内側にそういう声が「ある」ことにさえ、そんなに「気づいて」いなかったんです。

 

コンパッション(思いやり)は、まず自分の内側に、苦しみがあることに「気づく」ことからはじまります。

この場合は、まず、「批判さん」の声に気づくこと。

「あ、また今、こんな風に自分に厳しい声をかけているんだな・・」、とか

「あ、いま、しんどいね。」と、気づいてあげる。

まず、その心の中の「声」に気づくだけでも、

ほんのすこし「批判さん」の活性化(不快な感覚)が、落ち着いたりします。

これは、今風に言うと、「マインドフルネス」= あるがままの観察 と呼ばれます。

マインドフルネスによって、「批判さん」と「自分(私)」が、一緒くたになって混ざっていた状態から、

少し「批判さん」を客観的に見る、心のスペース(場所)ができます。

 

その後に、私がよくするのは、自分との「つながり」を感じること。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」「いま、一緒にいるよ。」など、自分が安心する言葉かけをしながら、

必要があれば、自分のハート(心臓)のところに手を置いたり、その手の温かさを感じてみたりします。

(自分が安心するところ、触れていて心地よい場所に手を置いてあげてくださいね。

もちろん、触れなくてもokです。)

心地よいタッチは、「幸福ホルモン」と呼ばれる、オキシトシンの分泌をうながします。

 

そして、「もし、この苦しんでいるのが、自分の親友だったら、どんなふうに声をかけるんだろう?」

なんて、少し客観的に考えることもできるようになってきたら、しめたものです。

「これが友達だったら・・・?」これまで、相当がんばってきてるよね、と思う。

そしたら、「ずいぶん、がんばってるなあ。ちょっと、一緒に休憩しよっか。」とか、声をかけてみる。

そのあとは・・お茶でも飲みに行く。

ここで、自分の「ニーズ」(聞きたい言葉、する必要があることなど・・)を満たしてあげます。

 

こんな風にして、日常の中で何か「苦しみ」に気づいたら、

少しだけ、自分にやさしくすることを習慣にして、続けていきます。

(「苦しみに気づく」、「タッチ」、「これが親友だったら?」の声かけ・・など、どれができるものから始めるのでも十分です。)

すると次第に、日ごろ、少しずつ落ち着きが増してくる自分に気づくかもしれません。

自分が落ち着くと、次にしてみたいことなど、自然に「創造」のエネルギーもわいてきます。

良い循環が、生まれていきます。

 

もちろん、苦しみがあんまり大きい時などは、自分でコンパッションを向けるのが難しいこともありますよね。

そんな時は、どうか無理をしないで、少しおやすみ(眠る、食事など)したり、

セラピーや、信頼できる他の人に、つながってみましょう。

 

今日は、日常の中でも、セルフケアとして、少しずつできることがたくさんあることを、お伝えしたくなりました。

小さいことのようですが、一見地味な、小さい繰り返しが、大きな変化を生むことがあるのです。

・・・

みなさんもどうぞ、自分自身に、

「いま、わたしの心地よさ、健康、安全のために、必要なことは何だろう?」と、

こころとからだに聞いてみてあげてください。

そして、できる範囲で、自分へやさしさを向け、自分のニーズを、叶えていってあげてくださいね。

 

追伸:

より詳しく、セルフコンパッションの考え方、実践方法を知るには、クリスティーン・ネフさんの本、

「セルフコンパッション」や、「マインドフル・セルフコンパッション・ワークブック」がおすすめです。

 

 

あんみつニーズを叶えました。

Brian Eno展へ

先日、ブライアンイーノ展に行ってみました。

そのとき感じたことを、日記のように、つらつらと書き連ねます。

 

 

 

 

 

 

・・・

光と音の空間で時間を過ごして、圧倒的に静謐な気持ちになる。

この気持ち、何かに似てるな・・と思ったら、西洋の教会に行ったときのものだった。

 

まるで、万華鏡のように映るインスタレーションは、教会のステンドグラスに。

静かだけど、深みのある音は、パイプオルガンと聖歌に。

蝋燭の炎のかわりに、電気の灯が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてまた、うごめく幾何学模様は、シャーマニックな瞑想で見る、ビジョンのようにも思えた。

 

私たちは、今も昔も、何らかの形で、日々、日常を超えるような体験を求めている。

 

一方で、今日では、「宗教」ということには、アレルギー反応を起こしやすくなっている人も多い。

案外、私たちは、教会や神社に行くよりも、ギャラリーや、「芸術」という切り口によって、

「日常を超える」体験をすることの方が、リラックスして居れるのかもしれない。

 

「超越」への入り口は、きっと、どんなものでもいい。

感じ方は、本当に、人それぞれに違うから。

大切なのは、ときどき、私たちが「私」を「超える」ような体験をすること。

自分を超える、大きな「流れ」があることを感じること。

そしてまた、小さな光を持って、安全に日常に戻ってくる、ということだと思う。

 

それがアートであっても、宗教的なものであっても、セラピーの場であっても。

頬をひと吹きの風が、通り抜けたことであっても。

「たましい」にとって、「より大きなものを感じる」体験は、

肉体にとっての「食べ物」のように、人間に欠かせない「栄養」なのだと思う。

 

そんな意味で、十分にたましいの滋養になった一日なのでした。

光るお山、砂盛りのよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、「からだ」が大事なの? ― トラウマ と身体の関係

 

トラウマ や、こころの癒しを考える時に、

「からだ」の感覚をみてゆくことが大切になる、というのが、

最近のトラウマ・セラピー界隈の定説となりつつあります。

 

なぜなら、私たちのトラウマの体験は「からだ=無意識」にこそ、刻み込まれているから。

 

実は、私たちは、これまでに体験したことすべて、

(今世の記憶から、たましいにおける過去生(信じる方は)の記憶もすべて・・)

を、「からだ」に記憶し、携えています。

 

「トラウマ」とは、過去に、自分にとって、何か衝撃の強い体験をした時に、「身体」において起こります。

それは、たった一回の、大きく衝撃的な体験のこともあれば、

小さくても、ストレスになる体験が何度も繰り返されることにより、「トラウマ」になることもあります。

(そう言う意味では、この世の中に、「トラウマ のない人」は、ほぼ居ないのですが。^^)

 

どちらにしても、トラウマ とは、その時、圧倒されて、処理しきれなかった感情や、衝動

(その時にしたかったのに、できなかったこと)

などが、身体の中にエネルギーとして溜まっている、「冷凍保存」されているような状態なのです。

ヒーリング的には、「ブロック=固まり」とも呼ばれます。

 

ですので、トラウマ を解放しようとするときには、

過去のショックだったできことを単に認知レベルで思い出して「お話」するというのでは、

十分でないことが多いのです。

(むしろ、準備なく、トラウマ 体験を「お話する」ことは、しんどくなる=再トラウマ化する可能性もあります)。

 

前回お話ししたような、リソース(力になるもの)確保の「下ごしらえ」をしながら、

トラウマ の記憶を抱えている、「身体」の感覚に、少しずつアクセスしてゆきます。

 

そうすることで、時に、意識のレベルでは思い出しにくいような、深い記憶にも、

安全にアクセスし、解放に向かうことができるのです。

 

わたしはここに、人間にこの、「身体・肉体」というものがあることの、

不思議さ、有り難さや、尊さを感じています。

この「身体」こそが、私たちがトラウマを受け、傷を受ける場所でもあり、

同時に、過去に受けた「傷つき」を解放し、癒せる場所でもあること。

そして、「本当の自分」とでも呼ぶような、私たちがトラウマ を受ける前から存在している、

「自己の神聖さ(=セルフ)」とのつながりを、思い出すことのできる場所でもあること。・・・

 

人間に、その、「身体」という場所があることの、不思議さと、ありがたさを、しみじみと感じています。

・・・・

リンドの郷間夢野さんが描いてくれた、今日のわたし

トラウマのセラピーにおいて大切なこと -「リソース」とトラウマ

 

2022年、どうぞ、皆さまにとり、素晴らしき一年となりますように✨

 

今回は、「リソース」とトラウマの解放について書いてみますね。

私が、セラピーの中でも、とくに大事にしていることの一つに、

「リソース(=心や体がほっとして、落ち着く状態)を育む」ということがあります。

 

でもなぜ、セラピーで、「リソース=心身が安心すること」という「肯定的な体験」を育むことを、

まず、大事にするのでしょうか。

 

トラウマを解放するセラピーの過程を、「もも太郎の鬼退治」にたとえてみるとします。

ここでの「鬼退治」とは、「トラウマ、傷つき」といった、一見、否定的なものに向き合うこと。

鬼=心の中の傷や、ネガティヴなこと、影の部分に出会うこと、にたとえられるかも知れません。

 

鬼退治に行く場合、いきなり、素手で鬼のところに行って「たのもう!」とはしませんよね。

まずは、おばあちゃんにもらった、きびだんごを用意します。

そして、仲間になってくれる、いぬ、さる、きじといった、動物たちに出会って、みんなで心を一つにしていきます。

まずはそういった、味方になってくれるもの=「リソース」と出会い、

鬼に出会うための「力」をつけてから、鬼ヶ島に向かっていきます。

 

「リソース」を育むのは、この「自分の力・味方になってくれるもの」を、大きなストレスに向き合う前に、

しっかりと準備してゆく、下ごしらえのようなものだと思っています。

 

そして、十分なリソースをたずさえ、「力」をつけて、鬼ヶ島に向かったら、

以前には「鬼」と思っていた、トラウマや傷つきに向き合う頃には、

実はもう、鬼は、そんなに怖いものでもなくなっていることが、多いものです。

お話の中でも、最後にはむしろ、鬼こそが、宝もの(生命力)をもたらしてくれるのですから。

 

セラピーでも、リソースの「土台」があってこそ、トラウマの解放が、

そして自分にとっての「真実(ほんとうのこと)」を統合することが、安全かつ、着実にすすみます。

 

逆に、この「リソースの土台」づくりが十分でない場合、急速にトラウマに暴露するようなセラピーを行って、

かえって症状が悪化した・・というようなことも、残念ですが起こりうります。

 

ですので、これは、声を大にしてでも、お伝えしておきたいのです。

リソースという、力を育んでゆくプロセス自体が、トラウマや傷つきを癒す、たいせつな一歩一歩なのです。

 

これまで、数々のトラウマに関わる療法を学んできましたが、その中でも特に、リソースの土台を作ってゆく(思い出してゆく)ことは、

「安全」に、「着実」にセラピーをすすめる上で、何より大切なことだと、心より痛感しています。

このセラピーでの、リソース構築の大切さが、一般には恐らくまだあまり知られていない所が、歯痒いところです;;

「安心・安全」という言葉は、一見地味に見えるのですが、意外と奥が深く、

これこそが、「癒し」の土台、エッセンス と言ってもいいほどなのです。

 

みなさんに、ぜひ本当の意味で「安心」できるセラピーを、受け取っていただきたい、

また、自分もそういうセラピストでありたい、という、熱い思いがあります。

 

次回も、トラウマのセラピーにおいて大切なこと、続けて書いていきますね。

 

ドイツで出会ったカレンドゥラの花