Brian Eno展へ

先日、ブライアンイーノ展に行ってみました。

そのとき感じたことを、日記のように、つらつらと書き連ねます。

 

 

 

 

 

 

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光と音の空間で時間を過ごして、圧倒的に静謐な気持ちになる。

この気持ち、何かに似てるな・・と思ったら、西洋の教会に行ったときのものだった。

 

まるで、万華鏡のように映るインスタレーションは、教会のステンドグラスに。

静かだけど、深みのある音は、パイプオルガンと聖歌に。

蝋燭の炎のかわりに、電気の灯が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてまた、うごめく幾何学模様は、シャーマニックな瞑想で見る、ビジョンのようにも思えた。

 

私たちは、今も昔も、何らかの形で、日々、日常を超えるような体験を求めている。

 

一方で、今日では、「宗教」ということには、アレルギー反応を起こしやすくなっている人も多い。

案外、私たちは、教会や神社に行くよりも、ギャラリーや、「芸術」という切り口によって、

「日常を超える」体験をすることの方が、リラックスして居れるのかもしれない。

 

「超越」への入り口は、きっと、どんなものでもいい。

感じ方は、本当に、人それぞれに違うから。

大切なのは、ときどき、私たちが「私」を「超える」ような体験をすること。

自分を超える、大きな「流れ」があることを感じること。

そしてまた、小さな光を持って、安全に日常に戻ってくる、ということだと思う。

 

それがアートであっても、宗教的なものであっても、セラピーの場であっても。

頬をひと吹きの風が、通り抜けたことであっても。

「たましい」にとって、「より大きなものを感じる」体験は、

肉体にとっての「食べ物」のように、人間に欠かせない「栄養」なのだと思う。

 

そんな意味で、十分にたましいの滋養になった一日なのでした。

光るお山、砂盛りのよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Last Modified on 2022年8月22日
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