6月のみどり

 

雨がふったり、光が注いだりしながら、ますます、みどりが深まる6月ですね。

おかげさまで、オフィスの引越しも、無事に完了しました。

引越し先は、「白亜荘」という左京区の洋館アパート。築100年もの歴史ある、木造の建物です。

その、しっとりと落ち着いた空気に、私自身、自然と深呼吸して、リラックスしているのに気付きます。

本当に、ここに引っ越して良かった・・としみじみ、不思議なご縁へ感謝とともに、うれしい日々です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑ お部屋からも、みどりがたくさん見えます。

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「みどり」と言えば・・・

最近、よく聞いているCDは

森ゆにさん・青木隼人さん・田辺玄さんの「みどり」。

 

 

 

 

 

 

 

ギターデュオと、声の、うつくしい重なりに、こころが洗われるようです。

初夏のひかりや風が、通り過ぎてゆくような音で、今の季節にもぴったり。

 

それでは、どうか、良い初夏をおすごしくださいね。

また、お便りします。

 

 

オフィス引越しのお知らせ

<お知らせ>

6月から、左京区の方へと、オフィスを引っ越しすることになりました。

 

長らく、「いつか、木造の古い家のようなところでセッションができたらいいなあ・・」と思っていたのですが、

今回、とあるご縁で、その夢を現実にしたような、素敵な古いアパートと、出会うことができました。

 

最寄駅は、バス停の「京大前」か「近衛通り」駅(もしくは京阪の「出町柳」)になります。

ここは、大正時代に、修道女の寄宿舎のために建てられた洋館とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

(↑この2階で、タイマッサージをされている「雨日和」さんより、写真をお借りしました。)

 

木造で、ほの暗く、しっとりとした雰囲気のアパートです。なんだか居るだけで、ほっこりとする感じ。

この落ち着いた雰囲気は、カウンセリング・ヒーリングにもぴったりではないかと。

6月からは、こちら左京区のオフィスでのセッションとなる予定です。

これまで、烏丸御池のオフィスへお越しくださっていた方には、少々ご不便をおかけしてしまいます・・

が、今度の場所は、建物も味わい深く、緑もたくさん(吉田山も近く)で、のんびりです。

どうかこの雰囲気も、あわせて味わいに来てくださいね。

今から少しずつ、お部屋を整えていきます。どんな空間になるでしょうか✨

いごこちの良い、あたたかく集えるような場になれば・・と思います。

 

詳しい場所などは、また、近々、HPでもお伝えしますね。

 

 

 

春、デトックス

いろいろな所でさくらが咲き、あたたかくなる季節ですね。

春は、別れや、新たな出会いもあり、こころもからだも、揺れる季節。

そして昔から、春は体の巡り(新陳代謝)が良くなり、「デトックス(解毒)」に最適な季節と言われます。

冬の間に、ためこんだ、あれや、これや・・・。

今、もう必要のないものが、心や体から、自然に浮き出て、排出されやすい時期ですね。

「排出の時」は気持ちよかったり、または少し痛みがあったり、心ゆらいだりもあるかも知れません。

そんな時こそ、こころと体を休め、いたわりながら、

これまでありがとうと、いろいろなものにお礼をいいながら、

大事なものは、ハートにしまい

そしてもう、必要のないものは、そっと手放していきましょう。

さくらの花が、あっという間に散っても、またすぐ新緑の季節が始まるように

自然のサイクルは、かならず巡っていきます。

それは、決して破られない、自然との約束です。

一つのものが終わると、新しいスペースが始まる。

この春、大切なものを胸に、少しだけ足取りかるく、すすんでいきましょう。

 

ワークショップ

インナーガーデン・ジャーニーへのお誘い🌷 (→お陰さまで、満席になりました。)

3月21日は、春のお祝い、春分の日。

古くから、この日は新しいエネルギーが生まれ、春の女神のお祝いの日とされています。

この日、大阪でアティーナ洋子さん

「あなたのインナーガーデン(内なる庭)を旅する」ワークショップをひらきます。

詳しくは、「ワークショップ」の欄を、ご覧ください。

「ありのまま」でいるには? − ユングの「ペルソナ」と自然体

「ありのまま」という言葉は、最近、色々な所で良く見かけます。

映画、「アナと雪の女王」でも、エルサは歌います。

ありのーままのー自分になるのー♪

感動的な瞬間です。

 

 

 

 

自分の「魔法」を隠していた苦しみから、「本当の自分の姿」へと解放されるエルサ。

美しい瞬間です。

「ありのままの自分になることが、癒し。」

そんな言葉も、本屋さんでよく見かけるようになりました。

「ありのまま」に、「自然体」になれたら、すばらしい。本当にその通り・・。

 

でも・・いったい「ありのまま」って、どうしたらなれるの?

そもそも、「ありのまま」って一体何だろう?

 

そんな声も聞こえてきます。

「ありのまま」という言葉には、どうも一筋縄ではいかないところもあるようです。

 

<「ありのまま」だった赤ちゃんの頃>

生まれた時には、私たちは自然そのもの。

赤ちゃんは「ありのまま」で、生まれてきます。

食べたい時に食べ、欲しい時にもらえなかったら泣く。

本能的な、「 WANT ! (〜したい)」の欲求に従うのみ。

 

そしてそこから、様々な条件付が起こってきます。

お母さん、お父さん。家族。先生。友人。国。社会から・・・

「こうすべき」

「こうしたら、愛される」

「こうしないと、あなたは愛されない」

 

知らず知らずのうちに、外側から様々なメッセージを取り込み

私たちは、次第に「本当の自分」「ありのまま」という輪郭を、隠すことも学びます。

 

大人になる、という過程においては、赤ちゃんのときのように

「〜したい」という、自然な欲求を直接表現していた、「ありのまま」の姿から

少しずつ、自分を守るために、色々な「鎧」や「仮面」を身につけ、

「こうすべき」

「こうあるべき」

という自分を作っていく、ということも、起こっていきます。

 

それは、親や権威者に表される、「社会」への

適応のためにつくられていくもので、

ある意味、生きていくために必要な「守り」でもあるのです。

 

<ユングにとっての「ペルソナ」>

ユングという心理療法家は、社会適応のためにつけている、仮面のことを、「ペルソナ」と呼びました。

「ペルソナ」とは、古典劇で使われる「仮面」という語から来ているそう。

たとえば、私たちがつける仮面には、色々なものがあります。

「いい人」というペルソナ。「従順な娘」というペルソナ。「会社員」というペルソナ。・・・

そのペルソナ=仮面自体は、悪いものではありません。

ユングは、「ペルソナを持っていること自体は、問題ではない。

問題になるのは、その仮面が固くなり、その人と一体化してしまっている時だ」と語りました。

たとえば、「いい人」というペルソナを持っていて、あまりにも「自分=いい人」となってしまい、

それ以外の選択肢がなくなってしまうような場合。

そういう時、そのあり方は、問題になってきます。

なぜなら、その人の他の側面(たとえば「悪い人」の側面など)は、意識されない場所(=影、無意識)へと追いやられてしまい、

「悪い人」が、他者へ投影されるなど、意識がせまくなり、偏りが起こってくるからです。

 

 

 

 

 

 

<「ペルソナ(仮面)」との付き合い方>

では、人はこの、「ペルソナ」と、どんな風に関係を結んで行ったらいいのでしょう。

ユングは、

健康的なペルソナとの付き合い方は、「着脱可能」なものであるかどうか、が大事、と言いました。

つまり、「つけたり、はずしたりできる、自由がある場合、ペルソナも悪くない」のです。

成長した大人になると、様々なペルソナや、いわゆる「偽の自分」、「ありのままでない自分」がたくさんあるのは、自然なことです。

ただ、

そこから、どんな自分でいたいのか、選ぶ自由が、大人の意識にはあります。

その「自由」は、「自覚する(気づく)」ことから始まります。

今、自分は、どんな「ペルソナ(仮面)」をつけているのか?と、

それに、気づいていること。

そうすることで、それをつけ続けるのか、はずすのかを「選択する」という自由を、手に入れます。

私が最近思うのは、

仮面をつけた、「ありのままでない自分」に、「気づいている意識」もまた、

「ありのまま」の一形態なのではないか、ということです。

「仮面」だったり、「偽」の状態の自分にも気づいていること。

その「気づいている意識」こそ、選択する自由への入り口。それは、とても貴重な変化の始まり。

そんな風に思う、今日このごろです。

 

<「ありのまま」へ還る>

とはいえ、

生まれたての赤ちゃんのような、飾らない、無垢な「ありのまま」は、とってもパワフルです。

そこには、いのちの輝きがあります。

つまるところ、赤ちゃんのパワーを持った「ありのまま」とは、「自分の欲求(WANT)にすなおである」という状態に近いのかもしれません。

ゲーテは、「願望は、才能の予感」という意味の言葉を残しています。

どうしてか、湧き上がってくる「願望」、「〜したい」と願う心には、「才能(できる)」の予感がある。

「心やからだの底からの「〜したい(願望)」に従って動いてみると、

そこには、あなただけの「才能」、ギフトが輝いている。」・・・

そんな風にゲーテは言ってくれているように感じます。 とっても力強い言葉です。

 

私たちがこれまで自分に課してきた色々な「〜すべき」、制限などは、「他者」「外側」から取り入れたもの。

その「外側」に向いている意識に気づいたら、それを認めつつ、一度、ほーっと深呼吸してみましょう。

そして、今度は、自分の「内側」に意識を向けてみます。

内側からの「〜したい(WANT)」

という、欲求に従ってみることは、「ありのまま」、そしてあなたの「才能(ギフト)」へ近づく、第一歩。

そして、その「欲求」は、多くの場合、自分の「身体」から発されています。

「頭」のレベルではなく、自分の「身体(特にハート)」に気づくことは、その道を確かなものにしてくれます。

本当の「望み」につながる、「ハート」の知恵については、また別の記事で書きますね。

・・・・・

まとめると・・

*外側の「仮面」の自分も尊重し、今の選択に「気づいて」いること。

*そして、内側・身体からの「WANT (〜したい)」に気づいて、少しずつ叶えること。

こんなあり方が、成熟した「ありのまま」へ続く、道なのではないでしょうか。

 

千里の道も一歩から・・ということで、

私自身も、今日の晩のおかずは、何をたべたいのか・・・?

自分自身の身体にしっかりとたずね、

小さい WANT を、日常から叶えていってあげようと思います。

 

 

 

 

 

オプラのことば

 

冬至が過ぎて、クリスマスも過ぎ、もうあっという間に年末モードですね。

これから少しずつ、太陽の光が多くなり、日が長くなって来ます。

今日は、私が手帳に書き留めて、ときどき見直しては、大切にしている言葉を少し紹介したいと思います。

アメリカのTV司会者、オプラ・ウィンフリーの言葉。

・・・・

 

「あなたが今、人生という旅の中で、どんな場所に居ようと、

そこはまさに、あなたが居る必要がある場所です。

道は、いつも目の前にひらかれています。

私は、人生のすべての道のりに感謝しています。

うまくいったことだけじゃなく、

うまくいかなかったことについても。

たとえどんなにうまくいかなくて、最悪だと思える時でさえ、

いつも、最高の時へと準備をしているのです。」

オプラ・ウィンフリー

 

<原文>

“No matter where you are on your journey, that’s exactly where you need to be.

The road is always ahead.

Gratitude for the whole journey of my life – not just every thing that had gone right, but the things that had not.

Even the worst of times are always preparing for the best.”

・・・・

なんと、力強い言葉。

私自身、この言葉に、何度励まされてきたことでしょうか。

オプラは、女性で黒人の、マイノリティーとしての生まれを持ち、

幼い頃から、家庭でも、過酷とも言える生い立ちを持っています。

そんな過去を乗り越えてきたオプラだからこそ、出てきたように思う、本当に力強い言葉です。

人生という旅では、いいことや、楽しいことばかり・・というわけにもいかないことがあります。

本当に、しんどかったり、もう「救い」なんていうものは、ないのかも知れない・・

というほど、苦しいことが身に降りかかることも起こります。

本当に苦しい時、まるで、自分の人生にも見捨てられたかのような気持ちになった時でさえも、

私は上の言葉を読んで、ひとすじの光を思い出すような気持ちになって来ました。

・・・

たとえ、今どんな場所にいても、

そこは、あなたの居る場所。

そして、その体験は、いつも「最高」の時へと、準備をしている。

たとえ今は、そう思えないとしても。

・・・

見えない所で、いつでも、最高のあなたへの準備が行われている、と思うと、

少し、今の状況を受け入れ、前にすすめるように感じてきます。

逆境はいつも、さらなる成長、新しいあなたがいるよ、というメッセージ。

まるで、冬の見えない土の下で、春に向けて種が少しずつ、少しずつ、ふくらんでいくかのように・・・。

・・・

2018年は、集合レベルでも、大きな「変容の年」だったと言われていますね。

個人レベルでも、大きな変化や、癒しがあったり、

もう捨てて良いもの、古い信念が見つかったり、

新しいライフスタイルへと変わって来られた方も多かったのではないでしょうか。

何を隠そう、私自身もそうでした!

古いもの、必要のないものを脱ぎ去り、自分の本当に実現したいことを、自分に問うた一年となりました。

この「みわ」も、いっそう新しく、ワクワクと進んでいきたいと思います。

 

2019年も、あなたの心と身体にとって、良い年になりますように!

たとえ最も暗い時でさえ、

私たちの意識は、いつでも、成長の方へと向かっています✨

 

どうか、愛いっぱいに、温かく、良いお年をお迎えくださいね。

さささんの料理をしない料理教室

この間は、六甲山へ、ささたくやさんの「料理をしない料理教室」へ行ってきました。

でも、料理教室なのに、料理をしないとは、どういうことでしょう?

料理の写真を撮るためだけの、インスタ女子用の料理教室?

いやはや、違いました(笑)

 

では、この「料理をしない料理教室」で、何をしてきたかというと、

まずは、集まったみんなで、自分の「好きな食べ物」について語り合います。

そして、その食べ物を「おいしい」と思う時の、

自分や、他のひとの体験を、じっくり味わいます。

それから、いよいよ、一緒に一品(サラダ)を作ります。 ただし、イメージの中で。

その過程の中で、それぞれが、妄想をふくらませながら、順番にサラダの素材と出会い、味見しつつ、

想像の中で味の空間を作り、

それぞれの感じていることを、話し合い、シェアしていきます。

 

もちろん、サラダに決まったレシピ、分量はなく、

各人が、一皿になる野菜の質感、表現したい味の空間を、

想像(そうぞう)= 創造してゆきます。

「妄想」の果てには、それぞれが、自分の感覚と向き合った、まったく個性的なサラダが出来上がったのです。

 

ここでは、

想像力の大切さ、そして

お料理という日常の行為も「瞑想」になることを学びました。

 

瞑想とは、

五感を研ぎ澄ませ、

そこに「気づき」を持つこと。

そして、「想像」力は、「創造」する力。

 

ここには、日常の世界に、自分の作りたいものを、「創造」する時の、ヒントが溢れていました。

<創造のヒントとは・・>

・五感に「気づき」を持つこと。

・「好きなもの」に正直になること。

・「作りたいもの」のヴィジョンを、明確に想像してゆくこと。

・そのプロセスを、楽しむこと!

 

そのあとは、実際にさささんが作ってくれた料理(ローフードの火を使わない野菜料理)を味わうのですが!

これが、文字通り、目が飛び出るほど、おいしかったのです・・。

すべての感覚が開くような、「意識が変わる」お料理でした。

 

「おいしい」とは、舌に感じる「味」だけでなく、

食べる場所や、一緒に食べる人とのかかわり。

素材の背景にある物語(ex 大切な人が握ってくれたおにぎり・・)。

視覚から受ける、美しさ。

のみ込んだ後の、身体への影響、栄養。

ヴァイブレーション。

 

こういったすべての要素を、「おいしい」といただいているんだなあ・・と実感した時間でした。

これをきっかけに、どんどん「食べるもの」への意識が、変わっていきそうです。

 

 

 

 

 

 

 

食べるのに夢中で、撮れていた写真はこれだけ。インスタ女子への道は遠そう(笑)

これは一品目。この野菜を麺に見立て、手作りの甘酒をつけ汁に。

そこへ、味噌、練り梅干し、たくさんのハーブやフルーツなどの薬味類と一緒に、いただきました。

とてもおいしかったです。

なぜ、女性のサポートを? −「女性のためのカウンセリング」の理由

 

「女性が、自分らしく生きていくことの、サポートをしたい。」

 

こんな思いの「種」が生まれてきたのは、15年以上前のことでした。

修士論文のため、女性たちに、妊娠・出産の体験のインタビューをしていたころのことです。

 

インタビューのお話を聞く中で、

女性たちが、妊娠・出産・子育てといった出来事の中で、心理的にも、肉体的にも、さまざまな「痛み」を味わうこと。

そして時には、産まない・産めないことでの、「痛み」も味わうこと。

 

でも、その「痛み」と意識的に向き合ったとき、

こころの成長が訪れること。・・・

 

そんな、女性たちの生の声を聞きながら、

 

「この、女であることの「痛み」とは、いったい何なのだろう。

私たちは、なんのために、これを体験するのだろうか。」

 

という、素朴な問いと、その重みを感じたことを、思い出します。

 

その頃から、「女性性」について考えることは、

カウンセリングの仕事においても、

自分自身にとっても、とても大切だと感じ始めていました。

 

それからまた数年経ったころ・・。

 

私自身、アメリカでの出産では、思いがけない「痛み」を味わいました。

緊急帝王切開での出産で、母子のいのちは無事だったものの、様々な、傷つきも味わいました。

過剰な医療的介入も、ショックの一因となりました。

 

そして、その後は一息つく間もなく、怒涛のような子育てが始まります。

子育てって、こんなに大変だったんだ!と驚く日々でした。

もちろん、娘は可愛く、愛おしく、

かけがえのないよろこびや、尊さも味わいますが、

現実的に、ひたすら、忙しい日々の中、

手術の身体的なショックも相まって、今思えば、「産後うつ」のような状態だったと思います。

 

そしてその頃は、それらの「痛み」を癒すために、

自分自身、たくさんのカウンセリングや、ヒーリングも受けました。

 

このことがきっかけになって、内側にあった、自分自身の母—娘(自分の親との関係性)や、

「女性性」の問題ともっと向き合い、

自分との、そして身体との関係性が、より深く、より安定して育まれるようになっていきました。

 

そして今。

かつての「痛み」を、自分の人生に置かれた、忘れがたい「宝」のように

感じることができるようになったのは、なんと滋味ふかい、よろこびでしょうか。

当時は、ただ苦しいばかりで、痛みが「宝」で、自分の人生の「道しるべ」だったなどと、感じるようになるとは、想像もつきませんでした。

 

 

また、日本へ帰ってからは、特に社会の女性への目が、対等ではないこと。

お産のあり方、産後、子育てへのサポートが、十分ではないこと。

「母性愛神話」等の偏見、「良い娘・妻・母」になることへのプレッシャー。

などなど、様々な、時に日本特有の社会的な問題も、目に入ってきました。

 

カウンセリングで出会う、女性たちからは、よく、

こんな声が聞こえてきます。

 

「自分には、何か欠けている気がする。」

「自分に、自信がない」。

「どこか、劣っている気がする」。・・・

もれなく、私自身も、そんな声を持つ一人でした。

 

私がめざすサポートは、

女性たちが、ほんとうの「自信(自分への信頼)」を取り戻し、

自分の「ほんとうの望み」

に気づいてゆく、お手伝いをすることです。

 

そのために

少しずつ、「身体」という、私たちの「自然」とつながることをしていきます。

そして

これまでの、心のパターンに気づき、

心の傷つきを解放し、

人生を、自由に創造してゆくこと。

より、本来の自分になってゆくことを、お手伝いしていきます。

 

与えられた、この身体とつながり、自分をいつくしむ。

 

自分のことを大切にすることで、まわりも大切にする。

 

自分の「意識」を変えてゆくことで、世界を変えてゆく。

 

そんなあり方に、女性たちがなっていくのをサポートし、

道のりをご一緒できることは、本当にうれしいことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は、Katherine SkaggsのTarotカードより

 

 

 

Life is an art − 芸術とセラピー

 

大学生のころ、ヨーゼフ・ボイスという人の作品にふれることがありました。

彼の作品のキャプチャーに、「人間は誰でも芸術家である」という言葉が書いてあるのに、なぜか心が惹かれました。

 

 

 

 

ボイスの黒板

 

この「芸術家」とはどうやら、絵が上手いとか、音楽が得意だとか、いわゆる「芸術的」才能の持ち主、という意味だけではないようなのです。

ここでの「芸術家」とは、人間に生まれつき備わっている、「創造力」を使って、人生を、そして社会を形作ってゆく人のこと。

 

個人の記憶を思い出せば、ああ・・彫刻刀が使えないと泣いた、図工の時間。

いつまでも完成しない油絵。

音が取れないと怒られた、音楽のクラス。

でも「芸術」って、そんなことだけでは、ないんだね。・・・

 

すべての人間は、芸術家。一刻一刻、自分の人生を、社会を、形づくっている。

そんな発想が素敵だなあ、と思い、当時はボイスの、そして、その考え方にあるシュタイナーの思想にも、ひかれていきました。

 

もし、人生が、芸術作品だとしたら。

人間が皆、芸術家だとしたら。

私たちは、どんな風に日常を過ごすのだろうか。

どんなトーンで話すのだろうか。

どう、沈黙するのだろう。

私たちは、どんな人生を創造したいだろうか?

 

心理療法や、セラピーという営みは、

ときに、苦しみや、行き詰まり、病、といった形に表現された、「創造力」に気づき、

それらを、より自由な、「流れ 、Flow」にしてゆく作業だ、とも思います。

 

すべての苦しみ、病もまた、生命の一表現であるとするなら、

その生命力・創造力で、今度はどんな風に人生を、形作ってゆくのか。

それを支えるのが、セラピーの場です。

 

私たちセラピストは、すべての「芸術家」のサポーターだと思います。

人生を創造している、という意味での、芸術家の。

自らの本質である「自然」、創造力とつながり、

どんな風に人生を彩り、形づくり、表現するのか。

「永遠」の時と、つながり、

また、地に足つけて、日常を生きるのか。

 

そのための、変容の場所を、表現の場を、用意することが、私のお仕事です。

今日も、心から大切なその場所に、向かいます。

 

気持ちの良い季節

秋、気持ちの良い季節です。
鴨川ぞいを自転車でゆらゆら走っていると、甘いキンモクセイの匂いがしてきます。
実りの秋。食欲の秋。読書の秋・・。
秋は、何をしようかと、豊かな気持ちになりますね。
涼しい風に、心踊る季節が来ました。

先ごろ、森林食堂さん(京都のカレー屋さん)にお願いして、作ってもらってたショップカードができました。

じゃん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カレーが大好物の私。
去年、京都に来て、初めて食べたカレーが森林食堂さんでした。
そのとき、森林さんに置いてあったショップカードに一目惚れし、デザインをお願いしたというわけなのです。
まる形に、葉っぱのデザインが、とても気に入ってます。
森林さんは、カレーも、デザインもすばらしい。芸術家です。

ショップカード、これからどんな方にお渡しできるのか、楽しみです。