トラウマセラピーにおける、リソースの大切さ② 

今回は、私たちの心と体のバランスを取り、力になってくれる、

<リソース>ということについて、書いていきます。

 

 

 

 

<リソースとは?>

リソース(資源)とは、<自分にとって、力になる、心地よいものや、こと>。

実は、この<リソース>、特別に大きなことでなくても、

例えば <今、ここで、呼吸をしていること>・・というような

一見ごく「普通」と思われることの中にも、存在しています。

大きな意味では、今・ここに<存在していること>。

・・呼吸をしていて、心臓が動き、意識 = いのち があること。

もうこれ自体が、リソースそのものだとも言えます。

そういう意味で、実は、リソースが「ない」人は、いません。

でも、これでは少し漠然としているので、もう少し具体的な例をお話しますね。

 

例えば、今、地面の上に、しっかり足の裏が乗っていて、なんだか「安心」する感じがあるとします。

この安心感は、からだで感じている「リソース」です。

セラピーの中では、このリソースから生まれる、「安心感」に気づいてゆくことで、

心身に残る、「トラウマ」のエネルギーとのバランスを取り、神経系を落ち着かせたり、

トラウマのエネルギーの解放につなげてゆくことも行っていきます。

 

しかし、これまであまり身体感覚を意識してこなかった方や、

過去に大きなトラウマ(小さなトラウマでも、何度も重なる体験など)があった方は、

初めは、「安心感」や身体の内側で感じる、<内的なリソース>は、見つかりにくいかも知れません。

それは、自然で、理由があることです。

というのも、身体は、あえて「感じにくく」することで、たとえばトラウマなどへの反応として起こる、

身体の「不快な感覚」から、「身を守る」働きをもっています。

そのため、たとえ安心という「心地よい」感覚であっても、いきなり「感じる」ことは、難しいこともあるからです。

 

ですので、そういう場合は、無理に「感じ」ようとしなくて大丈夫。

まずは<外的リソース>と呼ばれる、自分の外側・環境にある<心地よいもの。役に立つこと。>に目を向け、

少しずつ、それを育んでゆくことが、徐々に安心感を増やし、回復への力を育む、契機となっていきます。

 

ポージェス博士という、生理学的な神経の働きと、トラウマとの関連を論じている研究者は、

「(トラウマへの)治療とは、安全であると感じられるようになることである。」と語りました。

 

<リソース(心地よいもの)>に触れている時、私たちの心と身体は「ほっ」として、

自然と、自律神経系・心拍数・呼吸のあり方などが安定し、調整された状態になります。

この<リソース>によって育まれる心身の「安心・安全」な状態が、

トラウマなどストレスへの反応(戦う・逃げる・凍りつく)へ向き合う際の、大きな力となっていきます。

 

もちろん、心の深い部分の癒しや変容については、他者、専門家のサポートが重要ですが、

この「リソースに目を向けること」は、セルフケアとして、少しずつ、日常でも行えます。

日常生活でも、自分にとっての「リソース」に気づいてゆくことは、まるで「1円玉貯金」のように

地味なようでも着実に、心身の元気になる力=回復力(レジリエンス)を、増やしていくことに繋がるので、

お得(笑)です。

 

<宝もの(リソース)は、すべての中に>

私にリソースについて教えてくれた、あるトラウマセラピストは、

「リソースは、<無限>にある。そして、リソース構築は、<宝探し>のようである。」と話してくれました。

確かに、私たちの「リソース」という「宝」は

<無限に存在していて、これからも、たくさん見つけることができる>

と思うと、何だか励まされるようで、うれしくなります。

 

しかし、ときに、あなたの「宝もの」は、すぐには見つからないこともあるかも知れません。

なぜなら、思い出されない、「眠っている」宝も存在するからです。

なので、たとえもし今、自分にとってのリソースを、何一つ思いつかなったとしても、焦らないで大丈夫。

リソースは、今はそっと、眠っているだけなのかもしれません。

その場合は、「これまでに、何が良かったから、自分は生きてこられたのか?」

という問いに、少しだけ思いを巡らせてみてください。・・・

宝物(リソース)は、決して、なくなることはありません。

 

また、大切なことは、リソースには、とても個人差があるものだということ。

<自分にとって、心地よいか>が、大事なポイントです。

他の人が好きなものでも、あなたにとっては心地よくないかもしれません。

「今」の自分にとって、心地よいもの、役に立つもの。それこそが、あなたの力になってくれます。

 

もし良かったら、下記の<宝(リソース)探しへのヒント>を、

あなたにとってのリソースを見つける参考にしてみてください。

少しずつ、紙に書き出してみると、より「意識化」につながるので、おすすめです。

 

<リソース(宝)探しへのヒント>

<関係性>
自分がほっとして安心できる人。グループ。好きな動物。(想像上の生き物でも)。

これまで、助けになった人。 好きな有名人。尊敬する歴史上の人物。想像上のキャラクター。

これまで誰かにかけてもらった、うれしい言葉など。

たとえば、いつも行くパン屋さんの、あるレジの人の顔を見ると、なんだかほっとする、元気が出る・・。こんなこともリソースの一つです。

<場所>
ほっとする、お気に入りの場所。自分の部屋。図書館。公園。友人の家。カフェ。マッサージ屋さん。

温泉。お布団の中・・など、リラックスしたり、元気が出る場所、安全な「避難所」が、いくつかあると、心強いです。

<物>
役に立つもの。心と体がやすらぐ、よろこぶもの。

例えば、お気に入りの毛布、着心地の良い服、自転車、好きな食べ物、お守り  etc・・・

<自然>
「自然」は、何よりパワフルなセラピストです🌿

外に出て、太陽の光をあびてみる。新鮮な空気を吸ってみる。

山や海、川のほとりを散策する。花、草などの植物を見たり、香りをかぐ。

土や砂の上を裸足で歩く(アーシング)。 雨の音を聞く。日向ぼっこ。ろうそくの火を見ること。

私は、好きな木に触れたり、好きな石のそばに座ってみると、落ち着いたり、元気が出ます。

<クリエイティブ>
好きな音・音楽を聞く。劇・映画をみる。本を読む。お笑いを見る。

声を出すことや、歌うこと。ふーっと長く息を吐くこと。散歩すること。

絵を描くこと。日記や文章を書いてみる。スポーツを見る。ダンスする。ヨガへ行く。

動きたいように身体を動かしてみる。

好きな食材で料理をしてみる・・など。

「気持ちが良い行動」は、「今・ここ」に集中しやすく、とっても創造的。

<スピリチュアル>
「スピリチュアル」というと、なんだか特別な響きがありますが、

日常の中でも、自然の中に居る時や、好きな人といる時などには、

何とも言えずほっとしたり、「自分」が広がるような気持ちになったりします。

私にとって、「スピリチュアル(神聖な)」体験とは、

<「私」を超える、より大きなもの・「自然」との「つながり」に気づくこと> です。

ある人は、「床掃除や、窓のガラス拭きを無心にしているときに、

なんとも自分が広がり、清められるような気持ちがする」と話していました。

これも「神聖さ」の体験の一つではないでしょうか。

メディテーション(瞑想)をすることで、より深く自己と「つながる」ことも、落ち着いた気持ちにしてくれます。

時には、お祈りをすること、より大いなる存在へ呼びかけること・・なども

私たちに、力を与えてくれます。

 

「リソースは無限にある」・・ということで、上に書いてある事にとらわれず、

あなたならではの、小さな心地よさ、「宝もの」を、少しずつ、見つけていってみてください。

きっと、あなたの日常の中に、あなたの「喜び」、「調和」のささやかな瞬間が、増えてゆきます。

そしてそれは、きっと、いつしかあなたの「大きな力」になってゆくことでしょう。

 

トラウマセラピーにおける、リソースの大切さ① 

先月は、「コレモ(Community Resiliency Model)」という、

神経系の働きを生かしたケアの方法を学びに、大阪へ行ってきました。

そこで、再確認したのは、やはりと言うべきか、「リソースの大切さ」でした。

 

リソースとは・・・「自分にとって心地よい、ものや、こと」。

自分の心と体が、安心したり、ほっとする事象、すべて。

この「リソース」、こう書くとシンプルなのですが、これが案外、奥が深いのです。

一体どうして、「リソース」に注目することが、セラピーで、そして、ひいては人生において、

欠かすことのできない、大切な事なのでしょうか。すこし詳しく、見ていきたいと思います。

 

<ネガティブ・バイアスの存在>

私たちの脳には、ついつい、ネガティブなことに焦点があたるという

「ネガティブ・バイアス(偏り)」なるものが存在しているといいます。

Rick Hansonという心理学者は、

「脳は、ネガティブな経験へのマジックテープであり、ポジティブな体験へのテフロンである。」

と言います。

「マジックテープ」は、一度ベリっとくっくと、中々離れないもの。

 

 

 

「テフロン」は、フライパンの表面みたいに、つるっとすべって離れるもの。

 

 

つまり・・・、それくらい

私たちの脳のあり方は、ネガティブな体験に気づきやすい。ポジティブな体験は、忘れやすい傾向がある・・

ということのようです。

このネガティブ・バイアス、かつては、私たちが進化してゆく過程で、

「危険」を察知し、避けることができるように、役立ってきました。

例えば、森に暮らしていた頃なら、「あの洞穴には、毒蛇がいたぞ!」と覚えておくことで、

その危険(トラウマ的な反応を起こさせるもの)には近づかないようにさせて、生存率をアップさせてきたといいます。

しかしながら、

現代においても、この機能(ネガティブ・バイアス)だけが強く残り、

日常的に、そういった「危険」への感覚・感情・思考に占領されている・・となると、困りものですね。

自分自身にも、思い当たるふしがあります。

なぜか、「できたこと」より、「できなかったこと」の方ばかりを思い出す。

なぜか、「自己否定的な声」がある。(・・ 特に自分がセラピーを受ける前には、たくさんありました。)

しかし、人間にはこういった脳の傾向があるのだ、と知ると、納得です。

ただ重要なのは、これは、単に「ポジティブ思考は良い」・「ネガティブはダメ」というお話ではないということ。

ネガティブなものを「抑圧」するのではなく、

「今・ここ」に、ネガティブなものがあることに気づきながら、

ポジティブなものがあることにも、意識を向けることができるという、

選択」があることに気づくようになること、

そして「バランス」を取ることができるということに、大切な意味があると思います。

 

「リソース(心地よいもの・安全なもの)」の存在にも目をむけ、それを育んでゆくことは、

この両者のバランスをとることを助け、

人生をより調和的に生きることへの、力になります。

では次回は、この「リソース」ということについて、より詳しく、お話しますね。

 

先日登った、鞍馬山から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒルデガルトの「みどり」をたずねて 

 

お久しぶりの更新になりました。

少しの間、夏休みをもらい、ドイツの方へ、足を伸ばしてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ドイツでは、かねてから楽しみにしていた、

12世紀の修道女、「ヒルデガルド・フォン・ビンゲン」の足あとを訪ねて、ライン川周辺の旅へ。

聖ヒルデガルド修道院のモザイク画

 

ヒルデガルドを知ったのは、かれこれ10年ほど前のこと。

「女性とスピリチュアリティ」と題された、とあるユング派の先生の授業でのことでした。

そこで、私はヒルデガルトという一人の女性の生涯、そして

彼女がよく使ったという、

ヴィリディタス  Viriditas (みどりの生命力)」という言葉に、

強いインパクトを受け、すっかり魅了されてしまいました。

 

ヴィリディタス とは・・・

「みどり色」を意味するラテン語で

ヒルデガルトによれば、「この宇宙のすべてに満ちている、生命力」のこと。

それは、「心」と「体」の両方に存在する、「たましい」の領域とも言えます。

ヒルデガルトは、私たちの身体、宇宙のすべてに、

「まるで樹液のように、ヴィリディタス (いのち)が遍満している」と言います。

そして、心や体の「病」とは、その「ヴィリディタス」の不足か、不調和があるから起こる、と考えたのです。

彼女は、ハーブや、歌、クリスタルなど自然の力を使って、その「ヴィリディタス」を、調和の状態に戻すための

治療法を提案していきました。

 

ヒルデガルトが、この「ヴィリディタス」という言葉で表そうとしている、「みどり」の生命力。

それは、一体、どんなものだったのだろう・・。

ヒルデガルトの見た「みどり」を、実際にドイツで感じてみたい・・。

こんな思いから、この夏、彼女の足あとを、たどってみることになったのでした。

 

<ヒルデガルトの人生>

ヒルデガルドが活躍したのは12世紀、まだ、ドイツでも魔女狩りが本格的になる前のこと。

彼女は小さい頃から「炎のように輝く光」の「幻視」があり、他の人にはそれが見えないことを知って慄きます。

以後ずっと、「光の存在」からの言葉、ヴィジョンなど、さまざまなメッセージを受け取り続けます。

 

 

 

 

 

 

 


ヒルデガルトの描いた自画像

彼女はまた、持病や、全身の激しい痛みなど、逆境の多い人生でもありました。そういった苦しみの体験からか、

彼女は自らが「弱い存在であること」、「弱いことの強さ」、「謙虚さ」ということを持ち続けたといいます。

 

40歳の頃、彼女はついに、「生きている光」から届けられるヴィジョンを、書き記すことを決心します。

そこから

様々なハーブ(植物)やクリスタルを使った治療の書を書いたり、

歌曲など、音楽の作曲、

修道院の建築、

様々な癒し(ハーブや、触れることでのヒーリング) など・・

「生ける光」の存在たちと共同創造をし、

文筆・作詞作曲・工学など、本当にさまざまな領域で、豊かに活動を続けました。

 

もし、彼女が、もう少し後の時代に生まれていたら・・

光や、神的な存在から、直接メッセージをもらっていた、

ハーブを使った癒しをした・・、などというと、間違いなく「魔女」認定されていたことでしょう。

そう思うと、本当に12世紀に生まれてくれて良かった〜。

 

彼女は、当時の王など権力者達と手紙などでやりとりをする中で、自分のヴィジョンの価値を認めてもらい、

政治的にも、女子修道院を守り、その立場を尊重してもらうことに成功します。

ヒルデガルトの活躍ぶりは、当時の女性としてはあり得ない、遠方での説法にも何度も出るほどだったとのこと。

その信念と行動力の、なんとパワフルで、力強いこと・・!

欧米では、彼女こそ、女性の権利を主張するフェミニズム運動の先がけではないか・・

と、最近、その重要性が見直されているといいます。

 

思うにきっと、ヒルデガルドの強さは、

「神からのヴィジョン」といった超越的な体験や、苦しみなどを「受け入れる」という女性的な力。

そしてそれを、現実的な活動として「行動」し、「具現化」させる、男性的な力。

その両方(女性性・男性性)を、調和させて併せ持っていたことにあるのではないかしら・・。

そしてそれは、今日の私たち女性にとっても、とても大切なあり方なのだろう。

・・などなど、いろいろと思いをめぐらせながら、ライン川周辺の、彼女に関わる場所を訪ねていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビンゲンにある、ヒルデガルト博物館。そして、彼女のハーブガーデン。

リューデスハイムの修道院。

それぞれの場所をめぐるたび、植物のみどりが、生き生きと、目に飛び込んできます。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の旅の中で、一番印象的だったのは、

ヒルデガルドが最後に建てたという、アイビンゲンの修道院を訪れたときのことです。

その聖堂に入った瞬間、空間に満ちている静謐さに、打たれました。

こころの中のざわめきがすーーっとひいて、

あたたかい光に満たされたような気持ちになり、思わず涙がこぼれました。

その聖堂は、今でも、60名ほどの修道女さんたちによって、毎日祈りが捧げられているといいます。

そこには、ヒルデガルドの、そして彼女に連なるたくさんの女性たち・男性たちの思いが、

祈りになって、鳴り響いているようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒルデガルドは言います。

「すべてのものは、神の根源からの響きを持っている。」と。

私がヒルデガルドの足あとから受け取ったものは、その「響き」だったのかもしれません。

それは、「宗教」という枠をも超えて、私たちの身体と、足元に、まぎれもなくひろがっているもの。

私がずっと見たかった、ヴィリディタスの「みどり」。

その「みどり」は、この旅を通じて、生き生きと、確かに私の内に、再び息づいたように思います。

 

 

 

 

 

 

6月のみどり

 

雨がふったり、光が注いだりしながら、ますます、みどりが深まる6月ですね。

おかげさまで、オフィスの引越しも、無事に完了しました。

引越し先は、「白亜荘」という左京区の洋館アパート。築100年もの歴史ある、木造の建物です。

その、しっとりと落ち着いた空気に、私自身、自然と深呼吸して、リラックスしているのに気付きます。

本当に、ここに引っ越して良かった・・としみじみ、不思議なご縁へ感謝とともに、うれしい日々です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑ お部屋からも、みどりがたくさん見えます。

____

「みどり」と言えば・・・

最近、よく聞いているCDは

森ゆにさん・青木隼人さん・田辺玄さんの「みどり」。

 

 

 

 

 

 

 

ギターデュオと、声の、うつくしい重なりに、こころが洗われるようです。

初夏のひかりや風が、通り過ぎてゆくような音で、今の季節にもぴったり。

 

それでは、どうか、良い初夏をおすごしくださいね。

また、お便りします。

 

 

オフィス引越しのお知らせ

<お知らせ>

6月から、左京区の方へと、オフィスを引っ越しすることになりました。

 

長らく、「いつか、木造の古い家のようなところでセッションができたらいいなあ・・」と思っていたのですが、

今回、とあるご縁で、その夢を現実にしたような、素敵な古いアパートと、出会うことができました。

 

最寄駅は、バス停の「京大前」か「近衛通り」駅(もしくは京阪の「出町柳」)になります。

ここは、大正時代に、修道女の寄宿舎のために建てられた洋館とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

(↑この2階で、タイマッサージをされている「雨日和」さんより、写真をお借りしました。)

 

木造で、ほの暗く、しっとりとした雰囲気のアパートです。なんだか居るだけで、ほっこりとする感じ。

この落ち着いた雰囲気は、カウンセリング・ヒーリングにもぴったりではないかと。

6月からは、こちら左京区のオフィスでのセッションとなる予定です。

これまで、烏丸御池のオフィスへお越しくださっていた方には、少々ご不便をおかけしてしまいます・・

が、今度の場所は、建物も味わい深く、緑もたくさん(吉田山も近く)で、のんびりです。

どうかこの雰囲気も、あわせて味わいに来てくださいね。

今から少しずつ、お部屋を整えていきます。どんな空間になるでしょうか✨

いごこちの良い、あたたかく集えるような場になれば・・と思います。

 

詳しい場所などは、また、近々、HPでもお伝えしますね。

 

 

 

春、デトックス

いろいろな所でさくらが咲き、あたたかくなる季節ですね。

春は、別れや、新たな出会いもあり、こころもからだも、揺れる季節。

そして昔から、春は体の巡り(新陳代謝)が良くなり、「デトックス(解毒)」に最適な季節と言われます。

冬の間に、ためこんだ、あれや、これや・・・。

今、もう必要のないものが、心や体から、自然に浮き出て、排出されやすい時期ですね。

「排出の時」は気持ちよかったり、または少し痛みがあったり、心ゆらいだりもあるかも知れません。

そんな時こそ、こころと体を休め、いたわりながら、

これまでありがとうと、いろいろなものにお礼をいいながら、

大事なものは、ハートにしまい

そしてもう、必要のないものは、そっと手放していきましょう。

さくらの花が、あっという間に散っても、またすぐ新緑の季節が始まるように

自然のサイクルは、かならず巡っていきます。

それは、決して破られない、自然との約束です。

一つのものが終わると、新しいスペースが始まる。

この春、大切なものを胸に、少しだけ足取りかるく、すすんでいきましょう。

 

ワークショップ

インナーガーデン・ジャーニーへのお誘い🌷 (→お陰さまで、満席になりました。)

3月21日は、春のお祝い、春分の日。

古くから、この日は新しいエネルギーが生まれ、春の女神のお祝いの日とされています。

この日、大阪でアティーナ洋子さん

「あなたのインナーガーデン(内なる庭)を旅する」ワークショップをひらきます。

詳しくは、「ワークショップ」の欄を、ご覧ください。

「ありのまま」でいるには? − ユングの「ペルソナ」と自然体

「ありのまま」という言葉は、最近、色々な所で良く見かけます。

映画、「アナと雪の女王」でも、エルサは歌います。

ありのーままのー自分になるのー♪

感動的な瞬間です。

 

 

 

 

自分の「魔法」を隠していた苦しみから、「本当の自分の姿」へと解放されるエルサ。

美しい瞬間です。

「ありのままの自分になることが、癒し。」

そんな言葉も、本屋さんでよく見かけるようになりました。

「ありのまま」に、「自然体」になれたら、すばらしい。本当にその通り・・。

 

でも・・いったい「ありのまま」って、どうしたらなれるの?

そもそも、「ありのまま」って一体何だろう?

 

そんな声も聞こえてきます。

「ありのまま」という言葉には、どうも一筋縄ではいかないところもあるようです。

 

<「ありのまま」だった赤ちゃんの頃>

生まれた時には、私たちは自然そのもの。

赤ちゃんは「ありのまま」で、生まれてきます。

食べたい時に食べ、欲しい時にもらえなかったら泣く。

本能的な、「 WANT ! (〜したい)」の欲求に従うのみ。

 

そしてそこから、様々な条件付が起こってきます。

お母さん、お父さん。家族。先生。友人。国。社会から・・・

「こうすべき」

「こうしたら、愛される」

「こうしないと、あなたは愛されない」

 

知らず知らずのうちに、外側から様々なメッセージを取り込み

私たちは、次第に「本当の自分」「ありのまま」という輪郭を、隠すことも学びます。

 

大人になる、という過程においては、赤ちゃんのときのように

「〜したい」という、自然な欲求を直接表現していた、「ありのまま」の姿から

少しずつ、自分を守るために、色々な「鎧」や「仮面」を身につけ、

「こうすべき」

「こうあるべき」

という自分を作っていく、ということも、起こっていきます。

 

それは、親や権威者に表される、「社会」への

適応のためにつくられていくもので、

ある意味、生きていくために必要な「守り」でもあるのです。

 

<ユングにとっての「ペルソナ」>

ユングという心理療法家は、社会適応のためにつけている、仮面のことを、「ペルソナ」と呼びました。

「ペルソナ」とは、古典劇で使われる「仮面」という語から来ているそう。

たとえば、私たちがつける仮面には、色々なものがあります。

「いい人」というペルソナ。「従順な娘」というペルソナ。「会社員」というペルソナ。・・・

そのペルソナ=仮面自体は、悪いものではありません。

ユングは、「ペルソナを持っていること自体は、問題ではない。

問題になるのは、その仮面が固くなり、その人と一体化してしまっている時だ」と語りました。

たとえば、「いい人」というペルソナを持っていて、あまりにも「自分=いい人」となってしまい、

それ以外の選択肢がなくなってしまうような場合。

そういう時、そのあり方は、問題になってきます。

なぜなら、その人の他の側面(たとえば「悪い人」の側面など)は、意識されない場所(=影、無意識)へと追いやられてしまい、

「悪い人」が、他者へ投影されるなど、意識がせまくなり、偏りが起こってくるからです。

 

 

 

 

 

 

<「ペルソナ(仮面)」との付き合い方>

では、人はこの、「ペルソナ」と、どんな風に関係を結んで行ったらいいのでしょう。

ユングは、

健康的なペルソナとの付き合い方は、「着脱可能」なものであるかどうか、が大事、と言いました。

つまり、「つけたり、はずしたりできる、自由がある場合、ペルソナも悪くない」のです。

成長した大人になると、様々なペルソナや、いわゆる「偽の自分」、「ありのままでない自分」がたくさんあるのは、自然なことです。

ただ、

そこから、どんな自分でいたいのか、選ぶ自由が、大人の意識にはあります。

その「自由」は、「自覚する(気づく)」ことから始まります。

今、自分は、どんな「ペルソナ(仮面)」をつけているのか?と、

それに、気づいていること。

そうすることで、それをつけ続けるのか、はずすのかを「選択する」という自由を、手に入れます。

私が最近思うのは、

仮面をつけた、「ありのままでない自分」に、「気づいている意識」もまた、

「ありのまま」の一形態なのではないか、ということです。

「仮面」だったり、「偽」の状態の自分にも気づいていること。

その「気づいている意識」こそ、選択する自由への入り口。それは、とても貴重な変化の始まり。

そんな風に思う、今日このごろです。

 

<「ありのまま」へ還る>

とはいえ、

生まれたての赤ちゃんのような、飾らない、無垢な「ありのまま」は、とってもパワフルです。

そこには、いのちの輝きがあります。

つまるところ、赤ちゃんのパワーを持った「ありのまま」とは、「自分の欲求(WANT)にすなおである」という状態に近いのかもしれません。

ゲーテは、「願望は、才能の予感」という意味の言葉を残しています。

どうしてか、湧き上がってくる「願望」、「〜したい」と願う心には、「才能(できる)」の予感がある。

「心やからだの底からの「〜したい(願望)」に従って動いてみると、

そこには、あなただけの「才能」、ギフトが輝いている。」・・・

そんな風にゲーテは言ってくれているように感じます。 とっても力強い言葉です。

 

私たちがこれまで自分に課してきた色々な「〜すべき」、制限などは、「他者」「外側」から取り入れたもの。

その「外側」に向いている意識に気づいたら、それを認めつつ、一度、ほーっと深呼吸してみましょう。

そして、今度は、自分の「内側」に意識を向けてみます。

内側からの「〜したい(WANT)」

という、欲求に従ってみることは、「ありのまま」、そしてあなたの「才能(ギフト)」へ近づく、第一歩。

そして、その「欲求」は、多くの場合、自分の「身体」から発されています。

「頭」のレベルではなく、自分の「身体(特にハート)」に気づくことは、その道を確かなものにしてくれます。

本当の「望み」につながる、「ハート」の知恵については、また別の記事で書きますね。

・・・・・

まとめると・・

*外側の「仮面」の自分も尊重し、今の選択に「気づいて」いること。

*そして、内側・身体からの「WANT (〜したい)」に気づいて、少しずつ叶えること。

こんなあり方が、成熟した「ありのまま」へ続く、道なのではないでしょうか。

 

千里の道も一歩から・・ということで、

私自身も、今日の晩のおかずは、何をたべたいのか・・・?

自分自身の身体にしっかりとたずね、

小さい WANT を、日常から叶えていってあげようと思います。

 

 

 

 

 

オプラのことば

 

冬至が過ぎて、クリスマスも過ぎ、もうあっという間に年末モードですね。

これから少しずつ、太陽の光が多くなり、日が長くなって来ます。

今日は、私が手帳に書き留めて、ときどき見直しては、大切にしている言葉を少し紹介したいと思います。

アメリカのTV司会者、オプラ・ウィンフリーの言葉。

・・・・

 

「あなたが今、人生という旅の中で、どんな場所に居ようと、

そこはまさに、あなたが居る必要がある場所です。

道は、いつも目の前にひらかれています。

私は、人生のすべての道のりに感謝しています。

うまくいったことだけじゃなく、

うまくいかなかったことについても。

たとえどんなにうまくいかなくて、最悪だと思える時でさえ、

いつも、最高の時へと準備をしているのです。」

オプラ・ウィンフリー

 

<原文>

“No matter where you are on your journey, that’s exactly where you need to be.

The road is always ahead.

Gratitude for the whole journey of my life – not just every thing that had gone right, but the things that had not.

Even the worst of times are always preparing for the best.”

・・・・

なんと、力強い言葉。

私自身、この言葉に、何度励まされてきたことでしょうか。

オプラは、女性で黒人の、マイノリティーとしての生まれを持ち、

幼い頃から、家庭でも、過酷とも言える生い立ちを持っています。

そんな過去を乗り越えてきたオプラだからこそ、出てきたように思う、本当に力強い言葉です。

人生という旅では、いいことや、楽しいことばかり・・というわけにもいかないことがあります。

本当に、しんどかったり、もう「救い」なんていうものは、ないのかも知れない・・

というほど、苦しいことが身に降りかかることも起こります。

本当に苦しい時、まるで、自分の人生にも見捨てられたかのような気持ちになった時でさえも、

私は上の言葉を読んで、ひとすじの光を思い出すような気持ちになって来ました。

・・・

たとえ、今どんな場所にいても、

そこは、あなたの居る場所。

そして、その体験は、いつも「最高」の時へと、準備をしている。

たとえ今は、そう思えないとしても。

・・・

見えない所で、いつでも、最高のあなたへの準備が行われている、と思うと、

少し、今の状況を受け入れ、前にすすめるように感じてきます。

逆境はいつも、さらなる成長、新しいあなたがいるよ、というメッセージ。

まるで、冬の見えない土の下で、春に向けて種が少しずつ、少しずつ、ふくらんでいくかのように・・・。

・・・

2018年は、集合レベルでも、大きな「変容の年」だったと言われていますね。

個人レベルでも、大きな変化や、癒しがあったり、

もう捨てて良いもの、古い信念が見つかったり、

新しいライフスタイルへと変わって来られた方も多かったのではないでしょうか。

何を隠そう、私自身もそうでした!

古いもの、必要のないものを脱ぎ去り、自分の本当に実現したいことを、自分に問うた一年となりました。

この「みわ」も、いっそう新しく、ワクワクと進んでいきたいと思います。

 

2019年も、あなたの心と身体にとって、良い年になりますように!

たとえ最も暗い時でさえ、

私たちの意識は、いつでも、成長の方へと向かっています✨

 

どうか、愛いっぱいに、温かく、良いお年をお迎えくださいね。

さささんの料理をしない料理教室

この間は、六甲山へ、ささたくやさんの「料理をしない料理教室」へ行ってきました。

でも、料理教室なのに、料理をしないとは、どういうことでしょう?

料理の写真を撮るためだけの、インスタ女子用の料理教室?

いやはや、違いました(笑)

 

では、この「料理をしない料理教室」で、何をしてきたかというと、

まずは、集まったみんなで、自分の「好きな食べ物」について語り合います。

そして、その食べ物を「おいしい」と思う時の、

自分や、他のひとの体験を、じっくり味わいます。

それから、いよいよ、一緒に一品(サラダ)を作ります。 ただし、イメージの中で。

その過程の中で、それぞれが、妄想をふくらませながら、順番にサラダの素材と出会い、味見しつつ、

想像の中で味の空間を作り、

それぞれの感じていることを、話し合い、シェアしていきます。

 

もちろん、サラダに決まったレシピ、分量はなく、

各人が、一皿になる野菜の質感、表現したい味の空間を、

想像(そうぞう)= 創造してゆきます。

「妄想」の果てには、それぞれが、自分の感覚と向き合った、まったく個性的なサラダが出来上がったのです。

 

ここでは、

想像力の大切さ、そして

お料理という日常の行為も「瞑想」になることを学びました。

 

瞑想とは、

五感を研ぎ澄ませ、

そこに「気づき」を持つこと。

そして、「想像」力は、「創造」する力。

 

ここには、日常の世界に、自分の作りたいものを、「創造」する時の、ヒントが溢れていました。

<創造のヒントとは・・>

・五感に「気づき」を持つこと。

・「好きなもの」に正直になること。

・「作りたいもの」のヴィジョンを、明確に想像してゆくこと。

・そのプロセスを、楽しむこと!

 

そのあとは、実際にさささんが作ってくれた料理(ローフードの火を使わない野菜料理)を味わうのですが!

これが、文字通り、目が飛び出るほど、おいしかったのです・・。

すべての感覚が開くような、「意識が変わる」お料理でした。

 

「おいしい」とは、舌に感じる「味」だけでなく、

食べる場所や、一緒に食べる人とのかかわり。

素材の背景にある物語(ex 大切な人が握ってくれたおにぎり・・)。

視覚から受ける、美しさ。

のみ込んだ後の、身体への影響、栄養。

ヴァイブレーション。

 

こういったすべての要素を、「おいしい」といただいているんだなあ・・と実感した時間でした。

これをきっかけに、どんどん「食べるもの」への意識が、変わっていきそうです。

 

 

 

 

 

 

 

食べるのに夢中で、撮れていた写真はこれだけ。インスタ女子への道は遠そう(笑)

これは一品目。この野菜を麺に見立て、手作りの甘酒をつけ汁に。

そこへ、味噌、練り梅干し、たくさんのハーブやフルーツなどの薬味類と一緒に、いただきました。

とてもおいしかったです。