HAPPY SOLSTICE!
一年で一番、太陽が照らす時間が短く、陰が極まり、陽になってゆく時期。
心の中の、光、ともし火を、ともにあたためて、
新しい年へと向かいましょう。
皆さまの、安心と調和を、心からお祈りします。

今年は、人生で初めてエジプトにも行ってきました。
神殿の巡礼の旅で、たくさんのギフト、気づきをもらいましたよ。
また、こちらのブログでも、気づいたことを書いていけたらと思います。
✨
それでは、どうぞ、よい1日を、お過ごしください💫
HAPPY SOLSTICE!
一年で一番、太陽が照らす時間が短く、陰が極まり、陽になってゆく時期。
心の中の、光、ともし火を、ともにあたためて、
新しい年へと向かいましょう。
皆さまの、安心と調和を、心からお祈りします。

今年は、人生で初めてエジプトにも行ってきました。
神殿の巡礼の旅で、たくさんのギフト、気づきをもらいましたよ。
また、こちらのブログでも、気づいたことを書いていけたらと思います。
✨
それでは、どうぞ、よい1日を、お過ごしください💫
少しお久しぶりになりました。
やっと、秋を感じれそう・・と思ったら、もう肌寒いかも?
年々、秋が短くなっている気がするのは少しさみしいですが、
空を見上げたら、秋の色をしていましたよ。

空の色や、植物、自然を見ているときが、私のリソースだなあ・・としみじみします。
みなさんの、「リソース時間」は、どんなときですか?
どんなことをしている時が、
ほっとしたり、
少しらくになったり、
リラックスして
居れる時間でしょうか。

ある人は、窓についた雨の水滴を見たり、
水滴であそぶ時が、ささやかなリソースの時間だ、と教えてくれました。

日常の中で、ちいさいリソースを見つけれる感性、すてきです。
ちいさいリソースの時間を、たくさん積み重ねて、
季節の変化も、のりきりましょうね。


今年の8月5日は、広島に行きました。
80年前に日本で起こったこと、胸に。
少しでも、これから調和が広がるように、祈りました。

まずは、自分自身の心の中に、平和、調和が広がるように祈ります。
どんな人でも、この肉体を持って生きている限り、
様々な、晴らされない思い、エネルギーが、身体の中に眠っています。
人として生きることは、「葛藤」とともにあります。
過去に、起こった出来事に対処できなかったときに体に残る、防衛反応。
「戦う・逃げる・凍りつく」エネルギー。
たくさんの、「したかったのに、できなかったこと」。
両極化して、葛藤する「心の声」たち。
・・これらがあることに、温かい目で気づいて、
少しずつ、良い形で「完了」してゆくこと。
葛藤する心の声を聞き届け、自然に還してゆくこと。
これは、「癒し」とか「統合」とか、いろいろな言葉で呼ばれます。
✨
この「肉体」を持って、生きているからこそできる、とても貴重なこと。
コツコツと、あきらめず、
自分の心に調和をもたらしてゆくこと、今日も心に思います✨


毎年、春分をすぎ、あたたかくなると、
私の体も、冬の仕様から、春仕様へと変わっていくようで、
お腹の底から、「動き出したい」と感じはじめます。
まるで、冬眠していた動物が、のそのそ・・とほら穴から出てくるようです。
陽気にさそわれて、体のおもむくままに、お出かけするのにも良い季節。
今日は、御所へ出てみると、梅がたくさん咲いていてきれいでした。
皆さんも、小さな動きへの「衝動」を感じたら、
少しずつ、その衝動の方向へ動いてみると楽しいかもしれません。
ちょっと伸びをして、気持ちよく、関節を動かしてみる。
足の裏を地につけてみる。
そして、動きたい方向を感じながら、体をそちらへ動かしてみる・・
自分の「気持ちよさ」が、次の動きへの、方位磁針になってくれます。
伸びて気持ち良い方へ、すこーしのびてみる。
動かして、気持ち良い方へ動く。・・・
そんな、小さくも自然な動きが、「ダンス」のようになる日常、
楽しそうです。
「心地よさ」の羅針盤を胸に、リソースを増やしていくと、
心地よくないことやストレスも、いつの間にか、少しずつ、大切にできそうです。



気がつくと、前回書いた時から、随分時間が経っていました。
ブログを超サボり気味の金山ですが、2024年も、どうぞ、よろしくお願いいたします✨
年明けには、さまざま揺れがありましたよね。・・・色々な思いの方が、居られるかと思います。
何があったとしても、この一年が、良き年となりますように。。
みわオフィスでも、ささやかながら何か、できることを探していく決心です。
個人的には昨年、Somatic Experiencing®︎(ソマティック・エクスペリエンシング:通称SE)という、
身体指向のトラウマ療法の、認定プラクティショナーになりました。
仲間たちと3年間、身体と自律神経のしくみ、様々なトラウマの機序を学び、
身体の持つ自己調整の力(自然治癒力)を、どのように臨床で生かすのかを、みっちり学んできました。
実は、このSEを学んでから、私の中で、これまで学んできたセラピーの方法や、瞑想の体験などが、
さらに熟成・統合され、アップデートされていった感があります。
癒しを学ぶこと、セラピストとしての自己を整えることは、きっと、一生続く過程なのだろうと思いつつ、
さらに安全に(楽しく)、トラウマの解放をサポートできるようになってきているのを実感して、嬉しい☺️
心理療法と組み合わせた、SEのセラピー、おすすめです✨
・・・そもそも、私たちの「苦しみ」や、「トラウマ」とは何なのか?
そしてなぜ、「心」の問題でも、「身体」をみてゆくことが大事なのか?
セラピーで、「声」や「音」を使うといいのはなぜ?・・・
などなど、これからお伝えしてゆきたいこともたくさん。
ポツポツと、こちらのブログでも書いていきますね。
のんびりと、お付き合いくださったら幸いです。

みわカウンセリングは、京都の「白亜荘」という、味のある建物にオフィスがあるのですが、
そこのお仲間たちと、毎月10日は、「白亜荘も十日市」という、催しに参加させてもらってます。
その市を、&Premiumさんに、取材していただき、みわオフィスのお部屋もちょこっと載せていただきました。
今月号の「京都さんぽ部」、良かったらお手にとって見てみてください☺️


今年、1月22日発売のSAVVYさんの京都特集に、
「白亜荘も十日市」で、取材をしていただきました。

「白亜荘も十日市」は、「みわ」のオフィスのある左京区、「白亜荘」の仲間たちが、
毎月「ほぼ十日」に、それぞれのスペースをオープンにして
お店やアトリエをひらいている、小さなお祭りのような催しです。

陶器と絵の制作、古道具屋の「リンド」さん。
タイマッサージの「雨日和」さん。
編み物作家の「とりことり」さん。
山の古本屋、「軟弱書店」さん。
生活とアートの「月の座」さん。
「草編み」未来さんのチャイと、「yugue」さんのクッキー・・・
本当に尊敬する、大切な仲間の白亜荘のみなさんのお店、
どのお店もおもしろくって、あたたかいのです。

「みわカウンセリング(8号室)」も、ほぼ毎月、十日限定で、
カウンセリング + タロットカード + サウンドヒーリングのオリジナルセッション、
「タロットヒーリング」のお部屋を、ひらいています。
お日にちが合えば、ぜひ一度、「白亜荘も十日市」、足を運んでみてくださいね。
次回は、2月10日(水)13時〜18時です。
いかがお過ごしでしょうか。
今は、生活の中の「当たり前のこと」を「失う」という事が、
どんな方にも、程度の差はあれども、さまざまな形で起こっている時期だと思います。
今までの生活、人とのつながり、安全の感覚・・・
仕事や、行きつけの場所、自分の空間、関係性・・・
「失う」ことには、様々なものがあります。
大きな、または小さな「失う」ということが積み重なる中で、
「無力感」や「悲しみ」、「イライラ」など・・様々な感情や反応、
心や体のゆらぎが出てくることも、増えているかもしれません。
もれなく、私自身も、様々な反応に揺れる日々です。
<「失う」ことへの反応の仕方>
キュブラーロスというアメリカの医師は、人が「死ぬこと」に向き合った際に、
様々なものを「失うこと」を受け入れてゆくプロセスについて研究していました。
そして、そのプロセスには、5つの段階がある、としました。
それは、
① 否認・・「失うこと」や「死」ということを、認めない段階。無感覚になり、考えるのを避ける。
② 怒り・・自分や他者へ怒りを向ける段階
③ 取引・・奇跡を期待したり、何かにすがろうとする段階
④ 抑うつ・・エネルギーが低下して、何もできなくなる段階
⑤ 受容・・受け入れてゆく段階
の5段階です。
これらの段階は、直線ではなく、それぞれを行ったり来たりしながら進んでいくとされます。
そして、その有機的なプロセス中で、人は少しずつ「失うということ」を受け入れ、
人生に統合してゆく、とロスは言いました。
この5段階プロセス、まさに今、私たちが「日常」を失っている状況への、
「喪失への反応」と照らして考えても、色々と腑に落ちる部分があるのではないでしょうか。
例えば・・・
<否認>「自分はコロナと関係ない」「コロナは大したことない」etc・・と考える
<怒り>国、発信者、家族など・・etc、外側の何かに怒りを向ける。自分にイライラしたり、内側に怒り向ける。
<取引>例えば一つの健康法だけ、など、何かにすがろうとする。
<抑うつ>エネルギーが低下して、何にもやる気がでない。気分がふさぐ。
・・・
私自身、どれにも、少しずつ心当たりがあります(笑)。
でも、上記は全て、人が日常を「失った」時に、少しずつそれを受け入れ、
適応してゆくために起こる、<自然な心の反応>なのです。
・・・
もし良ければ、「今自分は、どんな反応を多くしているのかな?」と少し振り返ってみてもいいかもしれません。
(もちろん、この中の、どの段階にもあてはまらない場合もあると思います。
もし、ワクワクや、心地よい時間がたくさんあったら、それはそれで素晴らしいです!)
今の自分のあるがままの「あり方」に気づくとき、自分を少し離れたところから、客観視することになります。
そうして今の状態に「気づく」こと自体が、まずは心を整理してゆくことや、安心感へと向かう力となります。
<「受け入れること」>
昔、キュブラー・ロス本人が出演していた番組を見たのですが、彼女のTシャツに大きく、
” I’m not OK. You are not OK. It’s OK. ”
(私はOKじゃない。あなたもOKじゃない。それで、OKなのよ。)
と書いてあったことを、鮮明に思い出します。
そのときは「どういう意味・・?」と思ったのですが、
今になってようやく、その言葉と、彼女の伝えていた「受容」ということの意味が、わかるような気がしています。
・・・
—私にも、あなたにも、まぎれもなく、弱さや、しんどさ、苦しみがある。
それは、大丈夫。自然なことなのよ。(It’s OK.)—
・・・
彼女の「受容」とは、私たちの人間としての弱さや、苦しみをも、
あるがままに見つめて、「肯定する力」なのでしょう。
それは、
・・「もし今、自分や周りが「OKじゃない」ことに気づいたら、
まずはそれに「気づいている」こと自体を肯定しよう。
そして、そこから、また、始めよう。」・・
というようなことではないでしょうか。
そこには、極端な悲観主義でも、楽観主義でもない、
「慈悲の心 Compassion(悲しみを、あるがままに気づく心・いつくしむ心)」
のようなものが、あるように感じました。
私たちも、今、自らの内に起こっている、様々な反応に「気づく」ことができます。
その「気づき」は、自分自身へ、そして周囲への「慈悲(悲しみ・苦しみをあるがままに見つめる心
真の意味で自他への思いやり)」へと、つながっていくと思います。
その心を持って、これから、自分がどんな世界を作っていきたいか・・・今、私自身も、自分の心へ、問うような日々を送っています。
この「痛み」に気づく日々が、きっと、自分や他者への、本当の意味での「慈悲の心 (Compassion)」
を育み、これからの私たちの心の筋力、糧になりますよう。
そして、人生で「さらに良きもの」を生み出す力に、つながっていきますように。


いろいろな所でさくらが咲き、あたたかくなる季節ですね。
春は、別れや、新たな出会いもあり、こころもからだも、揺れる季節。
そして昔から、春は体の巡り(新陳代謝)が良くなり、「デトックス(解毒)」に最適な季節と言われます。
冬の間に、ためこんだ、あれや、これや・・・。
今、もう必要のないものが、心や体から、自然に浮き出て、排出されやすい時期ですね。
「排出の時」は気持ちよかったり、または少し痛みがあったり、心ゆらいだりもあるかも知れません。
そんな時こそ、こころと体を休め、いたわりながら、
これまでありがとうと、いろいろなものにお礼をいいながら、
大事なものは、ハートにしまい
そしてもう、必要のないものは、そっと手放していきましょう。
さくらの花が、あっという間に散っても、またすぐ新緑の季節が始まるように
自然のサイクルは、かならず巡っていきます。
それは、決して破られない、自然との約束です。
一つのものが終わると、新しいスペースが始まる。
この春、大切なものを胸に、少しだけ足取りかるく、すすんでいきましょう。
「ありのまま」という言葉は、最近、色々な所で良く見かけます。
映画、「アナと雪の女王」でも、エルサは歌います。
ありのーままのー自分になるのー♪
感動的な瞬間です。

自分の「魔法」を隠していた苦しみから、「本当の自分の姿」へと解放されるエルサ。
美しい瞬間です。
「ありのままの自分になることが、癒し。」
そんな言葉も、本屋さんでよく見かけるようになりました。
「ありのまま」に、「自然体」になれたら、すばらしい。本当にその通り・・。
でも・・いったい「ありのまま」って、どうしたらなれるの?
そもそも、「ありのまま」って一体何だろう?
そんな声も聞こえてきます。
「ありのまま」という言葉には、どうも一筋縄ではいかないところもあるようです。
<「ありのまま」だった赤ちゃんの頃>
生まれた時には、私たちは自然そのもの。
赤ちゃんは「ありのまま」で、生まれてきます。
食べたい時に食べ、欲しい時にもらえなかったら泣く。
本能的な、「 WANT ! (〜したい)」の欲求に従うのみ。
そしてそこから、様々な条件付が起こってきます。
お母さん、お父さん。家族。先生。友人。国。社会から・・・
「こうすべき」
「こうしたら、愛される」
「こうしないと、あなたは愛されない」
知らず知らずのうちに、外側から様々なメッセージを取り込み
私たちは、次第に「本当の自分」「ありのまま」という輪郭を、隠すことも学びます。
大人になる、という過程においては、赤ちゃんのときのように
「〜したい」という、自然な欲求を直接表現していた、「ありのまま」の姿から
少しずつ、自分を守るために、色々な「鎧」や「仮面」を身につけ、
「こうすべき」
「こうあるべき」
という自分を作っていく、ということも、起こっていきます。
それは、親や権威者に表される、「社会」への
適応のためにつくられていくもので、
ある意味、生きていくために必要な「守り」でもあるのです。
<ユングにとっての「ペルソナ」>
ユングという心理療法家は、社会適応のためにつけている、仮面のことを、「ペルソナ」と呼びました。
「ペルソナ」とは、古典劇で使われる「仮面」という語から来ているそう。
たとえば、私たちがつける仮面には、色々なものがあります。
「いい人」というペルソナ。「従順な娘」というペルソナ。「会社員」というペルソナ。・・・
そのペルソナ=仮面自体は、悪いものではありません。
ユングは、「ペルソナを持っていること自体は、問題ではない。
問題になるのは、その仮面が固くなり、その人と一体化してしまっている時だ」と語りました。
たとえば、「いい人」というペルソナを持っていて、あまりにも「自分=いい人」となってしまい、
それ以外の選択肢がなくなってしまうような場合。
そういう時、そのあり方は、問題になってきます。
なぜなら、その人の他の側面(たとえば「悪い人」の側面など)は、意識されない場所(=影、無意識)へと追いやられてしまい、
「悪い人」が、他者へ投影されるなど、意識がせまくなり、偏りが起こってくるからです。

<「ペルソナ(仮面)」との付き合い方>
では、人はこの、「ペルソナ」と、どんな風に関係を結んで行ったらいいのでしょう。
ユングは、
健康的なペルソナとの付き合い方は、「着脱可能」なものであるかどうか、が大事、と言いました。
つまり、「つけたり、はずしたりできる、自由がある場合、ペルソナも悪くない」のです。
成長した大人になると、様々なペルソナや、いわゆる「偽の自分」、「ありのままでない自分」がたくさんあるのは、自然なことです。
ただ、
そこから、どんな自分でいたいのか、選ぶ自由が、大人の意識にはあります。
その「自由」は、「自覚する(気づく)」ことから始まります。
今、自分は、どんな「ペルソナ(仮面)」をつけているのか?と、
それに、気づいていること。
そうすることで、それをつけ続けるのか、はずすのかを「選択する」という自由を、手に入れます。
私が最近思うのは、
仮面をつけた、「ありのままでない自分」に、「気づいている意識」もまた、
「ありのまま」の一形態なのではないか、ということです。
「仮面」だったり、「偽」の状態の自分にも気づいていること。
その「気づいている意識」こそ、選択する自由への入り口。それは、とても貴重な変化の始まり。
そんな風に思う、今日このごろです。
<「ありのまま」へ還る>
とはいえ、
生まれたての赤ちゃんのような、飾らない、無垢な「ありのまま」は、とってもパワフルです。
そこには、いのちの輝きがあります。
つまるところ、赤ちゃんのパワーを持った「ありのまま」とは、「自分の欲求(WANT)にすなおである」という状態に近いのかもしれません。
ゲーテは、「願望は、才能の予感」という意味の言葉を残しています。
どうしてか、湧き上がってくる「願望」、「〜したい」と願う心には、「才能(できる)」の予感がある。
「心やからだの底からの「〜したい(願望)」に従って動いてみると、
そこには、あなただけの「才能」、ギフトが輝いている。」・・・
そんな風にゲーテは言ってくれているように感じます。 とっても力強い言葉です。
私たちがこれまで自分に課してきた色々な「〜すべき」、制限などは、「他者」「外側」から取り入れたもの。
その「外側」に向いている意識に気づいたら、それを認めつつ、一度、ほーっと深呼吸してみましょう。
そして、今度は、自分の「内側」に意識を向けてみます。
内側からの「〜したい(WANT)」
という、欲求に従ってみることは、「ありのまま」、そしてあなたの「才能(ギフト)」へ近づく、第一歩。
そして、その「欲求」は、多くの場合、自分の「身体」から発されています。
「頭」のレベルではなく、自分の「身体(特にハート)」に気づくことは、その道を確かなものにしてくれます。
本当の「望み」につながる、「ハート」の知恵については、また別の記事で書きますね。
・・・・・
まとめると・・
*外側の「仮面」の自分も尊重し、今の選択に「気づいて」いること。
*そして、内側・身体からの「WANT (〜したい)」に気づいて、少しずつ叶えること。
こんなあり方が、成熟した「ありのまま」へ続く、道なのではないでしょうか。
千里の道も一歩から・・ということで、
私自身も、今日の晩のおかずは、何をたべたいのか・・・?
自分自身の身体にしっかりとたずね、
小さい WANT を、日常から叶えていってあげようと思います。
