自律神経と心の関係(2)トラウマのできるしくみ

前回の、自律神経と心の関係(1)では、<本来の、心地良い自律神経のリズム>=「自己調整」

ということについて、お話ししました。

このようにして、「自己調整」の力が安定してくると、安全に「トラウマの解放」をすることが可能になってきます。

 

今回は、もう少し詳しく、では「トラウマ」とは一体、何なのか?

自律神経の視点から見ると、トラウマは、どんな「しくみ」でできるのか?・・について、見ていきたいと思います。

 

まずは、イメージしやすいように、野生動物の例で考えてみましょう。

ある草原で、うさぎが大きなライオンに見つかり、追いかけられることになったとします。

うさぎにとっては、もうトラウマになってしまいそうな、大きなストレス状況です。

何かストレスに遭遇すると、動物の自律神経は、「戦うか・逃げるか」の、交感神経へとスイッチがオンになります。

うさぎは、一瞬「戦おうかな?」と振り向くのですが、

相手が自分より大きくて強いライオンだとわかると、全速力で逃げ出します。<「動く」モードの、交感神経>。

 

 

 

 

 

 

でも結局、ライオンに追いつかれてしまいました・・・😭

「もう、「戦う」ことも「逃げる」こともできないんだ・・」となったうさぎは、

そこで自動的に、動けなくなってしまいます。いわゆる、「死んだフリ(擬死)」です。

自分にとって、あまりにもストレスが大きく、戦うことも、逃げることもできない場合、

動物の身体は勝手に、「凍り」ついて、「動けなく」なります。<「おやすみ」モードの、副交感神経>。

これらはすべて、身体・自律神経が瞬時に判断をして、自分の身を守ろうとしてくれるのです。

 

でもなぜ、「動かない事」で、身を守ることになるのでしょうか?

それは、捕食者は、「獲物がもう生きていない」と感じると、一旦、獲物から離れることがあるからです。

ライオンが油断したその隙をみて、もしかしたらうさぎは、また走って逃げるチャンスができるかもしれません。

またもし、最悪、襲われてしまったとしても、凍りついて感覚を麻痺させていることで、

「痛みを感じないですむ」という利点もあります。(この時に出る物質は、「天然の麻酔」と言われます。)

 

<野生動物はなぜ、トラウマにならないのか?>

トラウマ療法の分野の第一人者に、Somatic Experiencingというセラピーを開発した、Peter Levineという人がいます。

彼は、野生動物たちがこのように、日常的にトラウマになりそうな、ショックな出来事にたくさん出会っているのに、

その後、人間のようにはトラウマの症状が見られないことを、疑問に思いました。

そして、研究を重ねた結果、あることがわかったのです。

それは、野生動物たちは、「死んだフリ」で動けなくなった後、

再び立ち上がる際に、<ブルブルっと震えている!>ということだったんです。

 

野生動物の生態のビデオなどを見てみると、良くわかります。

捕獲されそうになって、倒れていた動物が、立ち上がるまえに、確かにブルブル震え、その後に目覚めたようになって、

また何事もなかったかのように、走り出す姿が、写っています。

どうやら、野生動物たちは、ショックな出来事により凍りついた、「戦う・逃げる」のエネルギーを、

本能的に<震えること>で、解放(ディスチャージ)をしているのです。

そのため、野生の動物は、その後、トラウマの症状になっていかない、ということがわかってきました。

 

その一方、人間は、どうして「震え」が起こらず、トラウマの症状へと発展していってしまうのでしょうか?

実はそれは、人間が、「理性脳」と呼ばれる、前頭葉が発達していることに理由がありました。

人間は、大きなショックになる出来事が起こり、凍りついた後に、

この本能的な「震え」や、「凍りついたエネルギーを解放する」という身体の自然な動きを、

「そんなことはおかしい」「やめとこう」などと、理性でストップさせていることが多いことがわかったのです。

この人間の「理性脳」の特徴が、身体が持つ本能的な「自然治癒力」の発揮を、阻んでいたのですね。

 

そしてこの、「凍りついたままのエネルギー」が、人間の日常生活に、様々な症状

(フラッシュバック、解離など・・)や、困難を引き起こしていきます。

また、「凍りつき」が起こっている水面下では、本当は、戦う・逃げるに使いたかった、

膨大な「動くため」のエネルギー(交感神経)が渦巻いています。

 

ですので、私たちのセラピーでは、少しずつ、「身体」という、本能的な領域に、安全にアクセスができるようにし、

この「凍りついた」エネルギー、言い換えれば、

副交感神経から出られない(動けない・麻痺・解離などの低覚醒)」状態か、

もしくは、「交感神経から出られない(戦う・逃げる・イライラ・・など、過覚醒)」状態を、

いかに自己調整の力を保ちつつ、<安全に>解放し、落ちつけてゆくか、ということを、ていねいにやっていきます。

 

凍りついていたトラウマのエネルギーが、安全に解放され、安定すれば、

それは再び、「流れ」として身体に戻って来てくれるのです。

そしてそれは、日常をより自由に創造するためのエネルギー、生命力となってくれます。

 

・・次回(3)へ続きますね。

 

貴船の方は、床を準備中でした、涼しげですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自律神経と、こころの関係(1)

今日は、<自律神経と、こころの関係>についてお話しします。

私が、カウンセリングの中でいつも意識していることの一つに、

その方の「自律神経の状態は、どんな状態なのか?」ということがあります。

なぜ、「こころ」のことを扱うのに、「自律神経」が大事なのでしょうか。

それは、<「心の状態」が、「自律神経の状態」と強く結びついているから>です。

そして、「自律神経の状態を整える」ことで、「心も整ってゆく」からなのです。

 

自律神経には、大きく分けると<交感神経>と、<副交感神経>があります。

交感神経は私たちを活動的にして、副交感神経は、消化・お休みさせてくれるものです。

私たちが普段、調子が良いとき、健康な時は、この自律神経の<動く>と<おやすみ>の二つのモードを、

行ったり来たり、柔軟に繰り返しています。

 

たとえば・・・

何かを見て、びっくりした。心臓がドキドキして、手に汗が出た。 <交感神経の活性化モード>

すると、自然に、ほーっとため息が出た。一息ついて、コーヒーを飲む。<副交感神経のおやすみモード>

そして、また動く <交感神経>・・・

というように、そこには、<活性化 〜 沈静化>の良いリズムがあります。

 

ところが、です。

人生の中で、何か大きなストレスがかかったり(ショックトラウマになるようなもの)、

小さいストレスでも、何度も恒常的に繰り返された(発達性トラウマなど)場合、

私たちの神経系は、本来の「しなやか」なリズムを失ってしまうのです。

私たちが心や体の「不調」を感じるとき、そこにはほとんどいつも、自律神経系のリズムの「不調」があります。

 

交感神経が過剰になっている不調(過覚醒、怒りっぽい、眠れない、多動、パニック傾向など・・・)

または、副交感神経が過剰になっている不調(うつ、ぼーっとする、動けない、引きこもり、解離など・・)。

もしくは、そのどちらもが同時にある・・など、その「不調」は、心・体の症状として、さまざまな現れ方をします。

 

ですので、まずは、自分が<今、どんな神経の使い方をしているのかな?>と、

自分の<自律神経の使い方のクセ>に、「気づく」ことが、鍵になります。

そして、そこから少しずつ、自分にとっての「しなやかな自律神経のリズム」を、

もう一度、体のレベルで思い出してゆくのです。

それには、まずは自分にとって、「安心できる・心地の良いもの(=リソース)」を感じること、

心地よさを集め、感じてゆくことが、良いスタートになります。

「心地の良さ」は、私たちの神経系を、二つの神経の極から出られない「過剰さ」から、

今・ここにある、「ニュートラル」なゾーンに連れてきてくれるのです。

 

また、たとえ、過去にどんなひどいトラウマなどがあっても、どんなに大人になってからでも、

自律神経のあり方は、繰り返しの働きかけにより、「変化させてゆくことができる」という研究結果があります。

これは、「神経の可塑性」と呼ばれます。

私は、この「神経の可塑性」ということを、自分自身の癒しの体験や、

クライエントさんたちが変化されてゆくのを見ても、実感しますし、心から勇気をもらっています。

 

たとえ、どんなに今の不調がしんどいものだったとしても、今、そのことに気づき、

少しずつ新しい神経のパターンを積み重ねてゆくことで、

<本来の心地良い自律神経のリズム>を取り戻すことができること。

自律神経を調整してゆくことは、自分の「自然なリズム、自然治癒力」を取り戻していることなのです。

 

カウンセリングの中では、一緒に、今のご自身の自律神経のあり方に意識を向けつつ、

さらにご自身の<自然治癒力、良いリズム>へと調整し、変容を積み重ねるサポートをしていきます。

・・・(2)に続きます。

 

春ですね。小人たちも、川遊び。

 

 

今、何となくしんどいあなたへ

もしかしたら、いま、

「何かしんどい・・。」

「調子が出ないなあ・・。」

「うつ、って程じゃないけど、どことなく落ち込んでる・・。」

などなど・・

いつもより、心や身体の不調を感じている方も、

居られるかも知れません。

 

そんな方へ、一言お伝えしたいです・・

「あなたは、一人じゃないです。」(!)

 

かの感染症のニュースが世に出てから、もう2年ほどでしょうか。

この2年で、以前にも増して、心身の不調を訴える方が多くなっていったように感じます。

それは、私たちが、集合的に日々、「慢性的なストレス」に晒されてきた影響も大きい、と思います。

 

たくさんの生活の変化。

マスクでの生活。

会えなくなった人や、無くなった機会。

何となく落ち着かない不安。

起こってくる意見の対立。

未来の見えなさ。・・・

 

長い時間、少しずつですが、ずっと変化に、晒されてきました。

この時期、体やこころが、固まってきたり、不調をきたしていも、何ら不思議はありません。

あなたは、いろいろなストレスが立ちこめる中、

ここまで、本当に良く、日々を生活してきました。

サバイブしてきました。

 

この変化の中、

今、何とか生活をしている自分を、まずは、

心から、ねぎらってくださいね。

本当にお疲れさまです。

 

ここまで

いろいろと工夫をしながら、

ときに我慢したり、こらえたりしながらも、不安な時を

本当によく、生きてこられました。

あなたのその、日々を生きた、いのちの力、生命力に、感謝です。

 

まだ、感染症の事は、「終わった」という段階ではないかも知れないですが、

ひとまずは、今までの道のりを、日常を、生きてきた自分を、

本当にねぎらい、少しでも、褒めてあげてくださいね。

ねぎらう時間をとって、ひと呼吸、ついてみましょう。

 

「私はあまり、影響ないかも・・。」

と思う方でも、もしかしたら、

無意識に、ストレスが、じわっと心身へ影響してる方もおられるかもしれません。

どことなく、「息苦しさ」が、体に残っているという場合もあるかもです。

 

もし、そんなことに気づかれたら、

マスクを外した時に、一度、ゆっくり深呼吸してみましょう〜。   ほ〜っ

縮こまっていた、身体を、すこーしずつ伸ばして、

肺いっぱいに、空気を吸ってみましょう。

 

そして、

少しずつ、自分のリソース(=心や体に心地よいこと・元気が湧くこと)に、

気づいてみてください。

リソースは、何でもいいです。あなたが「心地よさ」や「安心」と感じること・・・。

たとえば・・

今、座っているソファが、体をしっかりと支えてくれていて、心地よいこと。

一杯のミルクティー。

好きな歌を、はな歌で歌う。

温かいお風呂にはいる。

足やお腹、胸を、湯たんぽで温める。

推しのアイドルの顔を思い出したとき。

などなど・・。

ストレスがある時にはとくに、

「心地よさ」の感覚を意識して、それを「味わう」ことで、

生理学的にも、心身の状態を、落ち着くように整えてくれます。

ぜひ、体がよろこぶ、気持ちいいことをしていきましょう。

 

ここの所、動きが減って、固まっている身体を、少しだけ動かしてあげたり、

なるべく1日1回は、外を歩いて、気持ちよく足を動かしてあげたり。

こういった、

ちいさな小さな、「セルフケア」の積み重ねが、身体の、そして心の「あり方」を、

少しずつ、整えていってくれます。

 

そして、余談かも知れませんが、

あなたの心身が、少しでも「良い状態」になる事で、

それが、自然に、あなたの周りの人にも伝わり・・・

そして、その周りの人の周りにも、良い状態を引き起こし・・・

・・あなたのその小さな変化は、小さくても必ず、世界の平和へと、つながっていくのだと思います。

 

 

そしてもし、セルフケアもうまくできない・・、しんどさがなくならない・・など、

自分一人では、どうしようもなくなっているような時には、

どうか、誰か親しい人につながってみたり、

プロのセラピストさんのケアを、受けてみてくださいね。

 

こちらのカウンセリングももちろん、あなたのリソースとして、使ってください。

カウンセリングは、心のマッサージのようなものでもあります。

滞っていた部分を整理し、流れをつくったり、自分の力を取り戻し、浄化が起こる、心のマッサージ。

この長引くストレスで、普段は何とか大丈夫だった方も、

昔からの心のパターンが出て来たり、いつもよりしんどく感じている方も多いようです。

そういう方は、ぜひ、いらしてみてください。

少しずつ、心と体を整え、あなた本来のパワーが満ちてゆくように、サポートいたします。

 

この変化の時、

ここまでやってきた私たちには、必ず力があります。

これから、何があっても、きっと大丈夫。

日々、今ここにある、リソースを思い出しつつ、自分自身をケアしながら、

一緒に、力をたくわえて、過ごしていきましょうね。

 

 

 

紅葉、きれいです
京都の色んなところで色んな色が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分へ優しさを向ける技術 ― 最終回 ③

 

さてさて・・・前回の<マインドフルネス>に続き、

今回は、セルフ・コンパッションの残りの2つの要素、<自分への優しさ>と、<共通の人間性>についてです。

 

<自分へのやさしさ>

セルフ・コンパッションを学んで、私自身の一番大きな学びになったのは、「自分へのやさしさ」という視点です。

私たちは、自分が苦しい時、悲しみ・怒り・恥など、否定的な感情があるときにこそ、「優しさ」を必要としています。

でも、その優しさを、苦しい時に自分に向けることは、なかなか難しいものです。

そこで、<自分への優しさを向けるワーク>の一つでは、自分が今まさに、「苦しんでいる」ことに気づいた時、

<もし、その苦しんでいるのが、自分の「親しい友達」だったとしたら、

どんな風に声をかけるだろうか?>

と、少し客観的に考えてみることをしてみます。

 

例えば、子育てで、子どもに対して、イライラしてしまう時を例にしてみると・・。

いつもだったら、「こんなにイライラしている。私はだめな母親だ。・・」

など、批判的な考えや、否定的な感情に、占められてゆくかもしれません。

 

でも、そこでまずは、「マインドフルネス」を使い、

「いま、イライラしている。・・あ、胸のあたりが緊張しているな」と

今の「苦しみ」に、「あるがまま」に気づいてみます。

 

そこから、「もし、このイライラしているのが、自分の友人だったら、どういう風に声をかけてあげるだろうか?」

と、少し想像してみます。

 

友人へだったら・・「そりゃあ、イライラもするよね。・・今日は1日、幼稚園もお休みで

ずっと子どものお世話をしてたもんね。

本当におつかれさん。どんなお母さんでも、イライラしてしまうこと、あるよー。」・・

と、声をかけてあげるかな、と思うとします。

すると今度はその声を、自分へ、少し向けてあげるのです。

そして、必要であれば、自分へ、やさしくハグ(両腕で抱きしめる動作)することや、

タッチ(胸の中心に手をあてるなど、心地よい部分に触れること)をしてみます。

 

不思議なことに、「あるがまま」に気づき、「友人へ」の視点から優しさを向ける事で、

「苦しみ」の体験の「質」が、変わってくることに、気づかれることも多いでしょう。

私自身、このやり方で、日常生活の中で、何度救われてきたことかわかりません。(とくに子育てで。笑)

 

もしも、「友人へ」の言葉を何も思いつかない時は、ただ、今「苦しみ」に気づいていることへ、

なんとなく「優しい気持ち」をむけてみるだけでも十分です。

「・・イライラしているんだね。・・(できそうであれば、自分へ心地よい範囲で、ハグしたり、触れてみる。)」という風に。

 

または、誰か他の「温かい人、優しい人、信頼している人を想像してみることも良いでしょう。

実在の人でも、空想上の人物などでもかまいません。

「その人だったら、この苦しみへ、どんな言葉をかけてあげるだろう?」と想像してみます。

(例えば、ムーミンママだったら・・

「まあ、イライラしてるのね。だいじょうぶ。だいじょうぶ。深呼吸して。お茶を入れましょうね。

ちょっと少し自分の好きなことをする時間をもつのもいいじゃない。」と言ってくれるかも。

そして、やさしくハグと、マッサージをしてくれるはず。(自分をハグしてみる)・・など。)

 

この、<自分へ優しさを向ける>プロセスは、

心とからだの状態=神経系を、<思いやり・つながりの神経回路>と言われる、

自分とのつながり、他者とのつながりを、落ち着いて持つことができる、

心身の「あり方」へと、私たちを少しずつ、連れて行ってくれるのです。

そのとき、私たちはもう、決してひとりぼっちではありません。

この「マインドフルな意識」・「ケアをする(思いやる)意識」は、

思い出しさえすれば、24時間いつもいつだって、私たちと一緒なのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

<共通の人間性>

「苦しみ」の体験において、人はとくに、「ひとりぼっち」や、「孤独である」と感じられやすいものです。

<セルフコンパッション>のプロセスを踏むことは、

私たちを、「孤独」な状態から、「健全なつながり」の状態へと導いてくれます。

マインドフルな気づきを持って、まずは苦しんでいる「自分自身」とつながること。そしてさらに、

少しずつ「自分へ優しさを向ける」ことで、神経回路そのものが、

自分や、他者とも落ち着いて「つながることができる」心身の状態へ、と移行してくれます。

そして近年の研究では、脳・神経回路には可塑性(変化できる力)があり、この「思いやりの神経回路」は、

大人になってからでも、いつからでも、徐々に作っていけることがわかってきています。

これも、私たちの大きな希望です。

 

チベットの僧であるダライ・ラマは、こんなふうに言っています。

「すべての人間は、苦しみをなくして、幸せを得たいと望んでいる。」

 

個々人によって、人生における「苦しみ」の状態や種類は、それぞれに違っていますが、

「痛み」や「苦しみをもつこと」は、肉体をもつ人間にとって、共通の体験です。

そして、全ての人が、そこから「幸せ」や、「健全なつながり」を求め、願っています。

その意味で、苦しみを感じるとき、実はいつだって、私たちは、ひとりではないのです。

セルフコンパッションにおける3つ目の要素、<共通の人間性>とは、

私たち人間というものが、<苦しみをもつ>ということにおいて、「つながっている」ということを、

思い出させてくれます。

 

人間という存在自体が、<苦しみを持っている>ということを思い出し、

そこへ少しばかりの<やさしさ>の目線を向けはじめた時、私たちの内側で、何かが変わります。

そして、その変化は、かならず外の世界へと波及してゆくことでしょう。

自分へ優しくするということは、世界へも優しくすることに等しくなっていきます。

 

私自身、このことを思い出しながら、自分へのまなざしを、やさしく、強く

(そのやさしさは、必要のある時には、外へ、強く主張してゆくことを含みます。)

してゆくことを、続けていきたいと思っています。

 

 

<セルフコンパッションのプロセスの、簡単なまとめ>

(初めは、あまり大きくない「苦しみ」からはじめてみます。

すべてのプロセスにおいて、「無理なく、少しずつ」するのがポイントです。)

①マインドフルネス

・今の「苦しみ」に、あるがままに気づく。

・・・「いま、苦しいね。」「今、つらい状況だよね。」と、苦しみに気づく。

・それは、身体のどこに感じられる?・・「胃のあたりが、少ししめつけられるみたい」。

・その感情に、そっと名前をつける。・・「これは、悲しみ」「これは、怒り」。

②人間の共通性

「苦しみ」は、人生の一部で、「あなたはひとりじゃないよ」と、思い出してあげる。

③自分へのやさしさを向ける。

・いま、「苦しみ」がある、と「気づいている」こと自体が、自分への優しさへの一歩。

・「この苦しんでいるのが、もし、親しい友人だったら、何と言ってあげる?」と想像し、その言葉を自分へかけてみる。

・「自分にやさしくできますように」「あるがままの自分で、いれますように」など、やさしい言葉をかけてみる。

・「今、何が必要?」と自分の「ニーズ」を聞いてみる。・・深呼吸したい、あったかいお風呂に入りたい、

少しの間一人になりたい、友人と話したい、など・・ → できる範囲で、そのニーズを叶えてあげましょう。

・自分へハグをしたり、やさしく触れてみる。

(心地よく触れる事で、オキシトシンという「幸せを感じるホルモン」が分泌されますし、

「つながりの神経」のあり方に、居やすくなります。)

 

 

 

自分へ優しさを向ける技術―「マインドフルネス」②

 

前回の、セルフ・コンパッション①のお話の続き・・・

 

<セルフコンパッションの3つの要素>

「セルフコンパッション」には、大きく3つの要素があると言われます。 (C.Neff)

それは、「マインドフルネス」、「共通の人間性」、「自分への優しさ」の三つです。

今回は、その中でも、一番初めに必要になる、「マインドフルネス」ということについて

お話ししたいと思います。

 

<マインドフルネスとは?>

マインドフルネスとは、シンプルに言うと、今・ここの体験に判断せずに「気づく」こと。

元々は、東洋の瞑想法であった「マインドフルネス」を、医療分野に広めた研究者、J・カバットジンの定義によれば、

マインドフルネスとは「今・ここの体験に心を集中させ、判断をせず、あるがままに観察すること」とされます。

 

ではなぜ、この「判断せずに気づくこと」=マインドフルネスが、一番初めに重要になるのでしょうか。

それは・・・

苦しみに「思いやり」を向けるには、そもそも「苦しみ」に対しても、落ち着いて「気づいている」こと

が、必要になるからです。

 

私たちは、日常、様々なこれまでの過去の体験からできた「思い込み」や、「感情的な反応」といった、

「レンズ」のようなものを通じて、外の出来事に「無意識」に反応していて、

「今・ここ」の体験には本当には、気づいていないことが多いものです。

 

そこで、まずは、「良い・悪い」などの判断をいったん、わきにおいて、

 

<自分にはいま、どんな「感情」・「身体感覚」・「思考」があるのか?・・>

 

と、少しずつ、「あるがまま」の自分の「体験」に気づきを向けてゆきます。

そうすることで、普段は気づかない体験、強い感情などに「巻き込まれ」ている体験や、

身体感覚レベルでの「苦しみ」の体験をも、落ち着いて気づくことができるようになってゆきます。

今ここの経験に、落ち着きを持って気づいてゆく事で、苦しみの体験をも受け入れ、

やがてそこへ、「やさしさ・ケアを届ける」という段階へと、すすめるようになってゆくのです。

 

例えば、今、強い怒りを感じているとします。

多くの場合、私たちは、その強い怒りの感情と一体化し、感情が引き起こす強い身体への反応、

(心拍数の上昇、呼吸の乱れ、視野が狭くなる、不快な感覚・・)などに、あっという間に巻き込まれてしまいます。

 

しかしながら、怒っていることに気づいた時、いま、身体にある感覚、感情に意識を向け、

「下腹部が熱い。」「今、怒りの感情がある。」・・・

と、

「気づく」ことは、「怒り」と「私」の間に少しの距離、「間」を作ってくれます。

それは、すっかり「怒り」に飲み込まれた(私=怒り)ような状態から、

「怒り」と距離を持って、「俯瞰」した視野へと、あり方を変化させてくれます。

そしてこの、マインドフルな「気づき」の状態は、脳・神経的にも「落ち着き」をもたらすための、

重要な影響を持つことがわかってきています。

 

このマインドフルな「気づき」の状態は、脳の扁桃体(緊急時・ストレス反応を起こす脳の部分)の活動を低下させます(J・Fisher)。

これにより、交感神経の活性化を落ち着け、より理性的な判断ができるようになるのです。

強い感情に飲み込まれて、自動的に反応や、行動をするのではなく、

「気づく」ことで心身がより落ち着いたあり方になり、多くの選択肢から行動を選べる状態へとなってゆくのです。

 

このように、マインドフルな「気づき」は、強い感情的反応や、苦しみがある時でさえ、

それらを迎え入れ、落ち着いた心身の状態をもたらします。

それゆえ、「マインドフルネス」な気づきの力を育むことは、

自分や他者へ、「優しさ」を向けるという選択肢を持つための、大切な要素になっているのです。

 

 

・・・・

次回は、セルフ・コンパッションの、残りの2つの要素、

「優しさを向ける」「共通の人間性」ということについて、お話ししていきますね。

 

コアラも瞑想中・・

 

自分へ優しさを向ける技術 ―「セルフ・コンパッション」①

8月は、4日間、アメリカで開催されていた、心理療法士への「セルフコンパッション」のワークショップに、
オンラインで参加していました。(まだ、時差ぼけ中です。)

「セルフコンパッション」とは、「マインドフルネス瞑想」と同じく、元々は東洋の仏教の流れをくみつつ、
西洋で発展してきたワークの一つです。

この「セルフ・コンパッション」では、私たちの多くが、セラピーに求めること・・つまり、
自分の「苦しみをやわらげる/苦しみとともに生きる」方法、「自分へやさしくできる」方法を、
じっくりと掘り下げ、瞑想をしつつ育んでゆきます。

<コンパッションとは?>

では、「コンパッション」とは何なのでしょうか? 少し聞き慣れない言葉かもしれません。

コンパッションとは、日本語では、「慈悲・慈愛」・「共感的なやさしさ」などの意味になる言葉です。

私たちはたいてい、「周りの人には優しく、親切にしなさい」と教えられ、育つことが多いので、
自分以外の人に「やさしさ・思いやりを向ける」という考えには、比較的、慣れている事が多いです。

ところが、その「やさしさ」を、「自分の内側(=セルフ)に向けて持つ」ということを、
「意識的」にしてきたという人や、「得意」という人は、もしかしたら多くはないのではないでしょうか。

また、私たちはみんな、人生の中で、大なり小なり、傷つく体験、トラウマ的な体験を受けつつ、
ここまで生きてきています。

トラウマ的体験や、「生きづらさ」を抱えている程度が大きいほど、「自分へやさしさ、思いやりを向けてゆく」ことは難しく(時にとても不快で、荒唐無稽なことにさえ)、感じることも、多いものです。

そしてそれは、心のはたらきとして、とても自然なことです。
(自分に優しさを向けない事は、傷ついた体験の「痛み」から守る働きもあります。)

しかし、たとえそんな中でも、少しずつ「セルフ・コンパッション=自分へ優しさをむけること」
にとりくむことで、「苦しみ」を受け入れながら、自分をいたわれるような、
心・身体のあり方へ変化させてゆくことが、可能になってゆきます。
これは、自己治癒的な「ケアのシステム(内なるセラピスト)」を、自分の内側に育んでゆくこと」
と言い換えることもできます。

最近の脳・神経系の研究では、私たちの脳・神経系=心のあり方は、「可塑性」(変わることができること)
があることが、分かってきています。
自分の内側に、この「ケアのシステム」を安定して作ってゆくことで、たとえ苦しみのただ中にあっても、
思いやりと共に自分を受け入れ、しなやかに存在する心身のあり方に、少しずつ変容してゆくことができる事は、
人生において、本当に価値が大きいことだと、私は思っています。

セルフコンパッションの本 (C.Neff) の中には、こんな文言があります。

・・「あなたの人生でただ1人、年中無休で優しさと思いやりを提供できる人物。
それは、あなた自身に他ならない。」・・

もし、24時間、自分が困った時や苦しい時に、いつでもサポートしてくれる「応援隊」が、他ならない
「自分の内側」にあるとしたら、どれだけ心強いでしょうか。
そして、それが自分で、習慣によって、より大きく育んでゆけるものだとしたら、どうでしょうか・・。
だいぶ、お得(!)ではないでしょうか^^

そしてこれは、決して「頼れるのは自分しかいない」という、「閉じられた」意味ではありません。
時には、他者を頼ること、「他の人にサポートをお願いできる」ということも、とても大切です。
実際、他者を頼ってから、はじめて自分の内側にも「応援隊」が認識できてゆく、という段階も存在します。

重要なのは、この両者(内側と、外側のサポーター)のバランスを視野に入れることです。
そして、それでもなお、24時間一緒にいる、「自分の内側」に焦点を当てて、
自分の「ケアシステム(セルフ・コンパッション)」を育んでゆくことは、何にも変えがたい宝物になると、
私自身、体感しているところです。

・・少し長くなってきました。
次回には、この自分の内側へと目を向け、「やさしさ」を育み、苦しい時に、その「やさしさ」を届けてゆく、
「セルフコンパッション」について、さらに具体的に、お話ししてゆきたいと思います。

 

(②に続く)

 

ストレスへの対処法

3月になりましたね。

2月を過ぎたあたりから、新型のウイルスについてなど、落ち着かないニュースも、
多く目にするようになりました。

この時期、健康について心配になったり、イベントや学校もお休みになったり、
なかなか先が見えない・・・など、
今は、日本だけでなく、世界的にも、特にストレスがかかりやすい時期と言えるでしょう。

私自身が、こんな時だからこそ、気をつけていることを、少しお伝えしますね。

<情報とのつきあい方>

「気づいたら、テレビやネットのウイルス関係のニュースばかりチェックして、余計不安になった・・」
なんていう経験、みなさんもあるかもしれません。

信頼できるソースからの情報を、適量持つことは、力になりますが、
一度に沢山の情報を目にし過ぎると、かえって「混乱」したり、
集合的な「恐れ」の感情と共振して、ストレスになってしまうこともあります。

もし、情報過多になっているのに気づいたら、いったん、テレビやPCから離れ、
情報に触れる時間を減らして、バランスをとるのが、おすすめです。

<からだのケア>

ストレスの強い時ほど、 「からだ」のケアが、大切になります。
「身体」が整うと、自然と心も整い、回復する力、免疫力を高めてくれます。
手洗い、うがい、マスクなどの、基本的な予防に加えて、

・たっぷりの睡眠。

・栄養のある食事。

・ストレッチ、マッサージ、散歩など、適度な運動。

あたたかいお風呂に入ったり、栄養があっておいしいものを食べたり、ストレッチをしたり・・。
日常の中で、ベーシックなからだのケアを、もう一度、意識してみましょう。

私は最近、今ちょうど旬の「金柑」を食べるのにはまっています。
これがビタミン類もたっぷりで、免疫系にもGood。好きな方にはおすすめです。

<リソースに気づく>

リソースの記事でも触れたのですが、私たちの脳は、ネガティブなもの(恐れ・不安)に
気づきやすい傾向があります。

ですので、ストレスがある時ほど、「リソース(心地よいこと/ニュートラルなこと)」にも、意識を向けることは、
神経系のバランスを取って、自己調整力(ホメオスタシス)、免疫力を高めてくれます。

今できる範囲での、小さな「ここちよいこと/ニュートラル(中立的)なこと」を、少し意識してみましょう。

たとえば・・

・友人に電話をして、声を聞いてみる。

・おもしろいことをみつけて、笑う。(無理のない範囲で^^)

・できるだけ、「生活のリズム」を意識してみる。

・好きなお茶を入れて、本を読む。

・床(大地)にしっかりと足をつけてみる。

(大地にしっかり足をつけることを、グラウンディングと言います。
まるで、一本の木が、大地に根を張るように、自分の足の裏が、どっしりと床についているイメージをして、
その安定感を感じてみると、体と同時に、心も落ち着いてきます。)

・・・
<呼吸>

「呼吸」はいつも、意識を「いま・ここ」に戻してくれ、私たちの心をニュートラル(中立)にしてくれます。
一度、「ほーっ」と、長めに息を吐いてみましょう。

今必要のない考え、不安や恐れなどの感情を、「吐く息で一緒に外に出す。」と意図しながら、
「ほーっ」と息を長く吐きます。 吸う息は、自然に、必要なだけします。

自分のペースで、ゆっくりと・・・。気持ちいい分だけ、呼吸を繰り返してみましょう。

・・・

外の気候も、少しずつ、ぽかぽかしてきてくれていますね。
春は、きっと、もうすぐそこに。

心とからだを整えて、セルフケアを取り入れながら、
あたたかく、安心な春を、迎えることができますように。

梅の花も、咲いてきました。

トラウマセラピーにおける、リソースの大切さ② 

今回は、私たちの心と体のバランスを取り、力になってくれる、

<リソース>ということについて、書いていきます。

 

 

 

 

<リソースとは?>

リソース(資源)とは、<自分にとって、力になる、心地よいものや、こと>。

実は、この<リソース>、特別に大きなことでなくても、

例えば <今、ここで、呼吸をしていること>・・というような

一見ごく「普通」と思われることの中にも、存在しています。

大きな意味では、今・ここに<存在していること>。

・・呼吸をしていて、心臓が動き、意識 = いのち があること。

もうこれ自体が、リソースそのものだとも言えます。

そういう意味で、実は、リソースが「ない」人は、いません。

でも、これでは少し漠然としているので、もう少し具体的な例をお話しますね。

 

例えば、今、地面の上に、しっかり足の裏が乗っていて、なんだか「安心」する感じがあるとします。

この安心感は、からだで感じている「リソース」です。

セラピーの中では、このリソースから生まれる、「安心感」に気づいてゆくことで、

心身に残る、「トラウマ」のエネルギーとのバランスを取り、神経系を落ち着かせたり、

トラウマのエネルギーの解放につなげてゆくことも行っていきます。

 

しかし、これまであまり身体感覚を意識してこなかった方や、

過去に大きなトラウマ(小さなトラウマでも、何度も重なる体験など)があった方は、

初めは、「安心感」や身体の内側で感じる、<内的なリソース>は、見つかりにくいかも知れません。

それは、自然で、理由があることです。

というのも、身体は、あえて「感じにくく」することで、たとえばトラウマなどへの反応として起こる、

身体の「不快な感覚」から、「身を守る」働きをもっています。

そのため、たとえ安心という「心地よい」感覚であっても、いきなり「感じる」ことは、難しいこともあるからです。

 

ですので、そういう場合は、無理に「感じ」ようとしなくて大丈夫。

まずは<外的リソース>と呼ばれる、自分の外側・環境にある<心地よいもの。役に立つこと。>に目を向け、

少しずつ、それを育んでゆくことが、徐々に安心感を増やし、回復への力を育む、契機となっていきます。

 

ポージェス博士という、生理学的な神経の働きと、トラウマとの関連を論じている研究者は、

「(トラウマへの)治療とは、安全であると感じられるようになることである。」と語りました。

 

<リソース(心地よいもの)>に触れている時、私たちの心と身体は「ほっ」として、

自然と、自律神経系・心拍数・呼吸のあり方などが安定し、調整された状態になります。

この<リソース>によって育まれる心身の「安心・安全」な状態が、

トラウマなどストレスへの反応(戦う・逃げる・凍りつく)へ向き合う際の、大きな力となっていきます。

 

もちろん、心の深い部分の癒しや変容については、他者、専門家のサポートが重要ですが、

この「リソースに目を向けること」は、セルフケアとして、少しずつ、日常でも行えます。

日常生活でも、自分にとっての「リソース」に気づいてゆくことは、まるで「1円玉貯金」のように

地味なようでも着実に、心身の元気になる力=回復力(レジリエンス)を、増やしていくことに繋がるので、

お得(笑)です。

 

<宝もの(リソース)は、すべての中に>

私にリソースについて教えてくれた、あるトラウマセラピストは、

「リソースは、<無限>にある。そして、リソース構築は、<宝探し>のようである。」と話してくれました。

確かに、私たちの「リソース」という「宝」は

<無限に存在していて、これからも、たくさん見つけることができる>

と思うと、何だか励まされるようで、うれしくなります。

 

しかし、ときに、あなたの「宝もの」は、すぐには見つからないこともあるかも知れません。

なぜなら、思い出されない、「眠っている」宝も存在するからです。

なので、たとえもし今、自分にとってのリソースを、何一つ思いつかなったとしても、焦らないで大丈夫。

リソースは、今はそっと、眠っているだけなのかもしれません。

その場合は、「これまでに、何が良かったから、自分は生きてこられたのか?」

という問いに、少しだけ思いを巡らせてみてください。・・・

宝物(リソース)は、決して、なくなることはありません。

 

また、大切なことは、リソースには、とても個人差があるものだということ。

<自分にとって、心地よいか>が、大事なポイントです。

他の人が好きなものでも、あなたにとっては心地よくないかもしれません。

「今」の自分にとって、心地よいもの、役に立つもの。それこそが、あなたの力になってくれます。

 

もし良かったら、下記の<宝(リソース)探しへのヒント>を、

あなたにとってのリソースを見つける参考にしてみてください。

少しずつ、紙に書き出してみると、より「意識化」につながるので、おすすめです。

 

<リソース(宝)探しへのヒント>

<関係性>
自分がほっとして安心できる人。グループ。好きな動物。(想像上の生き物でも)。

これまで、助けになった人。 好きな有名人。尊敬する歴史上の人物。想像上のキャラクター。

これまで誰かにかけてもらった、うれしい言葉など。

たとえば、いつも行くパン屋さんの、あるレジの人の顔を見ると、なんだかほっとする、元気が出る・・。こんなこともリソースの一つです。

<場所>
ほっとする、お気に入りの場所。自分の部屋。図書館。公園。友人の家。カフェ。マッサージ屋さん。

温泉。お布団の中・・など、リラックスしたり、元気が出る場所、安全な「避難所」が、いくつかあると、心強いです。

<物>
役に立つもの。心と体がやすらぐ、よろこぶもの。

例えば、お気に入りの毛布、着心地の良い服、自転車、好きな食べ物、お守り  etc・・・

<自然>
「自然」は、何よりパワフルなセラピストです🌿

外に出て、太陽の光をあびてみる。新鮮な空気を吸ってみる。

山や海、川のほとりを散策する。花、草などの植物を見たり、香りをかぐ。

土や砂の上を裸足で歩く(アーシング)。 雨の音を聞く。日向ぼっこ。ろうそくの火を見ること。

私は、好きな木に触れたり、好きな石のそばに座ってみると、落ち着いたり、元気が出ます。

<クリエイティブ>
好きな音・音楽を聞く。劇・映画をみる。本を読む。お笑いを見る。

声を出すことや、歌うこと。ふーっと長く息を吐くこと。散歩すること。

絵を描くこと。日記や文章を書いてみる。スポーツを見る。ダンスする。ヨガへ行く。

動きたいように身体を動かしてみる。

好きな食材で料理をしてみる・・など。

「気持ちが良い行動」は、「今・ここ」に集中しやすく、とっても創造的。

<スピリチュアル>
「スピリチュアル」というと、なんだか特別な響きがありますが、

日常の中でも、自然の中に居る時や、好きな人といる時などには、

何とも言えずほっとしたり、「自分」が広がるような気持ちになったりします。

私にとって、「スピリチュアル(神聖な)」体験とは、

<「私」を超える、より大きなもの・「自然」との「つながり」に気づくこと> です。

ある人は、「床掃除や、窓のガラス拭きを無心にしているときに、

なんとも自分が広がり、清められるような気持ちがする」と話していました。

これも「神聖さ」の体験の一つではないでしょうか。

メディテーション(瞑想)をすることで、より深く自己と「つながる」ことも、落ち着いた気持ちにしてくれます。

時には、お祈りをすること、より大いなる存在へ呼びかけること・・なども

私たちに、力を与えてくれます。

 

「リソースは無限にある」・・ということで、上に書いてある事にとらわれず、

あなたならではの、小さな心地よさ、「宝もの」を、少しずつ、見つけていってみてください。

きっと、あなたの日常の中に、あなたの「喜び」、「調和」のささやかな瞬間が、増えてゆきます。

そしてそれは、きっと、いつしかあなたの「大きな力」になってゆくことでしょう。

 

トラウマセラピーにおける、リソースの大切さ① 

先月は、「コレモ(Community Resiliency Model)」という、

神経系の働きを生かしたケアの方法を学びに、大阪へ行ってきました。

そこで、再確認したのは、やはりと言うべきか、「リソースの大切さ」でした。

 

リソースとは・・・「自分にとって心地よい、ものや、こと」。

自分の心と体が、安心したり、ほっとする事象、すべて。

この「リソース」、こう書くとシンプルなのですが、これが案外、奥が深いのです。

一体どうして、「リソース」に注目することが、セラピーで、そして、ひいては人生において、

欠かすことのできない、大切な事なのでしょうか。すこし詳しく、見ていきたいと思います。

 

<ネガティブ・バイアスの存在>

私たちの脳には、ついつい、ネガティブなことに焦点があたるという

「ネガティブ・バイアス(偏り)」なるものが存在しているといいます。

Rick Hansonという心理学者は、

「脳は、ネガティブな経験へのマジックテープであり、ポジティブな体験へのテフロンである。」

と言います。

「マジックテープ」は、一度ベリっとくっくと、中々離れないもの。

 

 

 

「テフロン」は、フライパンの表面みたいに、つるっとすべって離れるもの。

 

 

つまり・・・、それくらい

私たちの脳のあり方は、ネガティブな体験に気づきやすい。ポジティブな体験は、忘れやすい傾向がある・・

ということのようです。

このネガティブ・バイアス、かつては、私たちが進化してゆく過程で、

「危険」を察知し、避けることができるように、役立ってきました。

例えば、森に暮らしていた頃なら、「あの洞穴には、毒蛇がいたぞ!」と覚えておくことで、

その危険(トラウマ的な反応を起こさせるもの)には近づかないようにさせて、生存率をアップさせてきたといいます。

しかしながら、

現代においても、この機能(ネガティブ・バイアス)だけが強く残り、

日常的に、そういった「危険」への感覚・感情・思考に占領されている・・となると、困りものですね。

自分自身にも、思い当たるふしがあります。

なぜか、「できたこと」より、「できなかったこと」の方ばかりを思い出す。

なぜか、「自己否定的な声」がある。(・・ 特に自分がセラピーを受ける前には、たくさんありました。)

しかし、人間にはこういった脳の傾向があるのだ、と知ると、納得です。

ただ重要なのは、これは、単に「ポジティブ思考は良い」・「ネガティブはダメ」というお話ではないということ。

ネガティブなものを「抑圧」するのではなく、

「今・ここ」に、ネガティブなものがあることに気づきながら、

ポジティブなものがあることにも、意識を向けることができるという、

選択」があることに気づくようになること、

そして「バランス」を取ることができるということに、大切な意味があると思います。

 

「リソース(心地よいもの・安全なもの)」の存在にも目をむけ、それを育んでゆくことは、

この両者のバランスをとることを助け、

人生をより調和的に生きることへの、力になります。

では次回は、この「リソース」ということについて、より詳しく、お話しますね。

 

先日登った、鞍馬山から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありのまま」でいるには? − ユングの「ペルソナ」と自然体

「ありのまま」という言葉は、最近、色々な所で良く見かけます。

映画、「アナと雪の女王」でも、エルサは歌います。

ありのーままのー自分になるのー♪

感動的な瞬間です。

 

 

 

 

自分の「魔法」を隠していた苦しみから、「本当の自分の姿」へと解放されるエルサ。

美しい瞬間です。

「ありのままの自分になることが、癒し。」

そんな言葉も、本屋さんでよく見かけるようになりました。

「ありのまま」に、「自然体」になれたら、すばらしい。本当にその通り・・。

 

でも・・いったい「ありのまま」って、どうしたらなれるの?

そもそも、「ありのまま」って一体何だろう?

 

そんな声も聞こえてきます。

「ありのまま」という言葉には、どうも一筋縄ではいかないところもあるようです。

 

<「ありのまま」だった赤ちゃんの頃>

生まれた時には、私たちは自然そのもの。

赤ちゃんは「ありのまま」で、生まれてきます。

食べたい時に食べ、欲しい時にもらえなかったら泣く。

本能的な、「 WANT ! (〜したい)」の欲求に従うのみ。

 

そしてそこから、様々な条件付が起こってきます。

お母さん、お父さん。家族。先生。友人。国。社会から・・・

「こうすべき」

「こうしたら、愛される」

「こうしないと、あなたは愛されない」

 

知らず知らずのうちに、外側から様々なメッセージを取り込み

私たちは、次第に「本当の自分」「ありのまま」という輪郭を、隠すことも学びます。

 

大人になる、という過程においては、赤ちゃんのときのように

「〜したい」という、自然な欲求を直接表現していた、「ありのまま」の姿から

少しずつ、自分を守るために、色々な「鎧」や「仮面」を身につけ、

「こうすべき」

「こうあるべき」

という自分を作っていく、ということも、起こっていきます。

 

それは、親や権威者に表される、「社会」への

適応のためにつくられていくもので、

ある意味、生きていくために必要な「守り」でもあるのです。

 

<ユングにとっての「ペルソナ」>

ユングという心理療法家は、社会適応のためにつけている、仮面のことを、「ペルソナ」と呼びました。

「ペルソナ」とは、古典劇で使われる「仮面」という語から来ているそう。

たとえば、私たちがつける仮面には、色々なものがあります。

「いい人」というペルソナ。「従順な娘」というペルソナ。「会社員」というペルソナ。・・・

そのペルソナ=仮面自体は、悪いものではありません。

ユングは、「ペルソナを持っていること自体は、問題ではない。

問題になるのは、その仮面が固くなり、その人と一体化してしまっている時だ」と語りました。

たとえば、「いい人」というペルソナを持っていて、あまりにも「自分=いい人」となってしまい、

それ以外の選択肢がなくなってしまうような場合。

そういう時、そのあり方は、問題になってきます。

なぜなら、その人の他の側面(たとえば「悪い人」の側面など)は、意識されない場所(=影、無意識)へと追いやられてしまい、

「悪い人」が、他者へ投影されるなど、意識がせまくなり、偏りが起こってくるからです。

 

 

 

 

 

 

<「ペルソナ(仮面)」との付き合い方>

では、人はこの、「ペルソナ」と、どんな風に関係を結んで行ったらいいのでしょう。

ユングは、

健康的なペルソナとの付き合い方は、「着脱可能」なものであるかどうか、が大事、と言いました。

つまり、「つけたり、はずしたりできる、自由がある場合、ペルソナも悪くない」のです。

成長した大人になると、様々なペルソナや、いわゆる「偽の自分」、「ありのままでない自分」がたくさんあるのは、自然なことです。

ただ、

そこから、どんな自分でいたいのか、選ぶ自由が、大人の意識にはあります。

その「自由」は、「自覚する(気づく)」ことから始まります。

今、自分は、どんな「ペルソナ(仮面)」をつけているのか?と、

それに、気づいていること。

そうすることで、それをつけ続けるのか、はずすのかを「選択する」という自由を、手に入れます。

私が最近思うのは、

仮面をつけた、「ありのままでない自分」に、「気づいている意識」もまた、

「ありのまま」の一形態なのではないか、ということです。

「仮面」だったり、「偽」の状態の自分にも気づいていること。

その「気づいている意識」こそ、選択する自由への入り口。それは、とても貴重な変化の始まり。

そんな風に思う、今日このごろです。

 

<「ありのまま」へ還る>

とはいえ、

生まれたての赤ちゃんのような、飾らない、無垢な「ありのまま」は、とってもパワフルです。

そこには、いのちの輝きがあります。

つまるところ、赤ちゃんのパワーを持った「ありのまま」とは、「自分の欲求(WANT)にすなおである」という状態に近いのかもしれません。

ゲーテは、「願望は、才能の予感」という意味の言葉を残しています。

どうしてか、湧き上がってくる「願望」、「〜したい」と願う心には、「才能(できる)」の予感がある。

「心やからだの底からの「〜したい(願望)」に従って動いてみると、

そこには、あなただけの「才能」、ギフトが輝いている。」・・・

そんな風にゲーテは言ってくれているように感じます。 とっても力強い言葉です。

 

私たちがこれまで自分に課してきた色々な「〜すべき」、制限などは、「他者」「外側」から取り入れたもの。

その「外側」に向いている意識に気づいたら、それを認めつつ、一度、ほーっと深呼吸してみましょう。

そして、今度は、自分の「内側」に意識を向けてみます。

内側からの「〜したい(WANT)」

という、欲求に従ってみることは、「ありのまま」、そしてあなたの「才能(ギフト)」へ近づく、第一歩。

そして、その「欲求」は、多くの場合、自分の「身体」から発されています。

「頭」のレベルではなく、自分の「身体(特にハート)」に気づくことは、その道を確かなものにしてくれます。

本当の「望み」につながる、「ハート」の知恵については、また別の記事で書きますね。

・・・・・

まとめると・・

*外側の「仮面」の自分も尊重し、今の選択に「気づいて」いること。

*そして、内側・身体からの「WANT (〜したい)」に気づいて、少しずつ叶えること。

こんなあり方が、成熟した「ありのまま」へ続く、道なのではないでしょうか。

 

千里の道も一歩から・・ということで、

私自身も、今日の晩のおかずは、何をたべたいのか・・・?

自分自身の身体にしっかりとたずね、

小さい WANT を、日常から叶えていってあげようと思います。