自分へ優しさを向ける技術―「マインドフルネス」②

 

前回の、セルフ・コンパッション①のお話の続き・・・

 

<セルフコンパッションの3つの要素>

「セルフコンパッション」には、大きく3つの要素があると言われます。 (C.Neff)

それは、「マインドフルネス」、「共通の人間性」、「自分への優しさ」の三つです。

今回は、その中でも、一番初めに必要になる、「マインドフルネス」ということについて

お話ししたいと思います。

 

<マインドフルネスとは?>

マインドフルネスとは、シンプルに言うと、今・ここの体験に判断せずに「気づく」こと。

元々は、東洋の瞑想法であった「マインドフルネス」を、医療分野に広めた研究者、J・カバットジンの定義によれば、

マインドフルネスとは「今・ここの体験に心を集中させ、判断をせず、あるがままに観察すること」とされます。

 

ではなぜ、この「判断せずに気づくこと」=マインドフルネスが、一番初めに重要になるのでしょうか。

それは・・・

苦しみに「思いやり」を向けるには、そもそも「苦しみ」に対しても、落ち着いて「気づいている」こと

が、必要になるからです。

 

私たちは、日常、様々なこれまでの過去の体験からできた「思い込み」や、「感情的な反応」といった、

「レンズ」のようなものを通じて、外の出来事に「無意識」に反応していて、

「今・ここ」の体験には本当には、気づいていないことが多いものです。

 

そこで、まずは、「良い・悪い」などの判断をいったん、わきにおいて、

 

<自分にはいま、どんな「感情」・「身体感覚」・「思考」があるのか?・・>

 

と、少しずつ、「あるがまま」の自分の「体験」に気づきを向けてゆきます。

そうすることで、普段は気づかない体験、強い感情などに「巻き込まれ」ている体験や、

身体感覚レベルでの「苦しみ」の体験をも、落ち着いて気づくことができるようになってゆきます。

今ここの経験に、落ち着きを持って気づいてゆく事で、苦しみの体験をも受け入れ、

やがてそこへ、「やさしさ・ケアを届ける」という段階へと、すすめるようになってゆくのです。

 

例えば、今、強い怒りを感じているとします。

多くの場合、私たちは、その強い怒りの感情と一体化し、感情が引き起こす強い身体への反応、

(心拍数の上昇、呼吸の乱れ、視野が狭くなる、不快な感覚・・)などに、あっという間に巻き込まれてしまいます。

 

しかしながら、怒っていることに気づいた時、いま、身体にある感覚、感情に意識を向け、

「下腹部が熱い。」「今、怒りの感情がある。」・・・

と、

「気づく」ことは、「怒り」と「私」の間に少しの距離、「間」を作ってくれます。

それは、すっかり「怒り」に飲み込まれた(私=怒り)ような状態から、

「怒り」と距離を持って、「俯瞰」した視野へと、あり方を変化させてくれます。

そしてこの、マインドフルな「気づき」の状態は、脳・神経的にも「落ち着き」をもたらすための、

重要な影響を持つことがわかってきています。

 

このマインドフルな「気づき」の状態は、脳の扁桃体(緊急時・ストレス反応を起こす脳の部分)の活動を低下させます(J・Fisher)。

これにより、交感神経の活性化を落ち着け、より理性的な判断ができるようになるのです。

強い感情に飲み込まれて、自動的に反応や、行動をするのではなく、

「気づく」ことで心身がより落ち着いたあり方になり、多くの選択肢から行動を選べる状態へとなってゆくのです。

 

このように、マインドフルな「気づき」は、強い感情的反応や、苦しみがある時でさえ、

それらを迎え入れ、落ち着いた心身の状態をもたらします。

それゆえ、「マインドフルネス」な気づきの力を育むことは、

自分や他者へ、「優しさ」を向けるという選択肢を持つための、大切な要素になっているのです。

 

 

・・・・

次回は、セルフ・コンパッションの、残りの2つの要素、

「優しさを向ける」「共通の人間性」ということについて、お話ししていきますね。

 

コアラも瞑想中・・

 

自分へ優しさを向ける技術 ―「セルフ・コンパッション」①

8月は、4日間、アメリカで開催されていた、心理療法士への「セルフコンパッション」のワークショップに、
オンラインで参加していました。(まだ、時差ぼけ中です。)

「セルフコンパッション」とは、「マインドフルネス瞑想」と同じく、元々は東洋の仏教の流れをくみつつ、
西洋で発展してきたワークの一つです。

この「セルフ・コンパッション」では、私たちの多くが、セラピーに求めること・・つまり、
自分の「苦しみをやわらげる/苦しみとともに生きる」方法、「自分へやさしくできる」方法を、
じっくりと掘り下げ、瞑想をしつつ育んでゆきます。

<コンパッションとは?>

では、「コンパッション」とは何なのでしょうか? 少し聞き慣れない言葉かもしれません。

コンパッションとは、日本語では、「慈悲・慈愛」・「共感的なやさしさ」などの意味になる言葉です。

私たちはたいてい、「周りの人には優しく、親切にしなさい」と教えられ、育つことが多いので、
自分以外の人に「やさしさ・思いやりを向ける」という考えには、比較的、慣れている事が多いです。

ところが、その「やさしさ」を、「自分の内側(=セルフ)に向けて持つ」ということを、
「意識的」にしてきたという人や、「得意」という人は、もしかしたら多くはないのではないでしょうか。

また、私たちはみんな、人生の中で、大なり小なり、傷つく体験、トラウマ的な体験を受けつつ、
ここまで生きてきています。

トラウマ的体験や、「生きづらさ」を抱えている程度が大きいほど、「自分へやさしさ、思いやりを向けてゆく」ことは難しく(時にとても不快で、荒唐無稽なことにさえ)、感じることも、多いものです。

そしてそれは、心のはたらきとして、とても自然なことです。
(自分に優しさを向けない事は、傷ついた体験の「痛み」から守る働きもあります。)

しかし、たとえそんな中でも、少しずつ「セルフ・コンパッション=自分へ優しさをむけること」
にとりくむことで、「苦しみ」を受け入れながら、自分をいたわれるような、
心・身体のあり方へ変化させてゆくことが、可能になってゆきます。
これは、自己治癒的な「ケアのシステム(内なるセラピスト)」を、自分の内側に育んでゆくこと」
と言い換えることもできます。

最近の脳・神経系の研究では、私たちの脳・神経系=心のあり方は、「可塑性」(変わることができること)
があることが、分かってきています。
自分の内側に、この「ケアのシステム」を安定して作ってゆくことで、たとえ苦しみのただ中にあっても、
思いやりと共に自分を受け入れ、しなやかに存在する心身のあり方に、少しずつ変容してゆくことができる事は、
人生において、本当に価値が大きいことだと、私は思っています。

セルフコンパッションの本 (C.Neff) の中には、こんな文言があります。

・・「あなたの人生でただ1人、年中無休で優しさと思いやりを提供できる人物。
それは、あなた自身に他ならない。」・・

もし、24時間、自分が困った時や苦しい時に、いつでもサポートしてくれる「応援隊」が、他ならない
「自分の内側」にあるとしたら、どれだけ心強いでしょうか。
そして、それが自分で、習慣によって、より大きく育んでゆけるものだとしたら、どうでしょうか・・。
だいぶ、お得(!)ではないでしょうか^^

そしてこれは、決して「頼れるのは自分しかいない」という、「閉じられた」意味ではありません。
時には、他者を頼ること、「他の人にサポートをお願いできる」ということも、とても大切です。
実際、他者を頼ってから、はじめて自分の内側にも「応援隊」が認識できてゆく、という段階も存在します。

重要なのは、この両者(内側と、外側のサポーター)のバランスを視野に入れることです。
そして、それでもなお、24時間一緒にいる、「自分の内側」に焦点を当てて、
自分の「ケアシステム(セルフ・コンパッション)」を育んでゆくことは、何にも変えがたい宝物になると、
私自身、体感しているところです。

・・少し長くなってきました。
次回には、この自分の内側へと目を向け、「やさしさ」を育み、苦しい時に、その「やさしさ」を届けてゆく、
「セルフコンパッション」について、さらに具体的に、お話ししてゆきたいと思います。

 

(②に続く)