お久しぶりの更新になりました。
少しの間、夏休みをもらい、ドイツの方へ、足を伸ばしてきました。
ドイツでは、かねてから楽しみにしていた、
12世紀の修道女、「ヒルデガルド・フォン・ビンゲン」の足あとを訪ねて、ライン川周辺の旅へ。
聖ヒルデガルド修道院のモザイク画
ヒルデガルドを知ったのは、かれこれ10年ほど前のこと。
「女性とスピリチュアリティ」と題された、とあるユング派の先生の授業でのことでした。
そこで、私はヒルデガルトという一人の女性の生涯、そして
彼女がよく使ったという、
「ヴィリディタス Viriditas (みどりの生命力)」という言葉に、
強いインパクトを受け、すっかり魅了されてしまいました。
ヴィリディタス とは・・・
「みどり色」を意味するラテン語で
ヒルデガルトによれば、「この宇宙のすべてに満ちている、生命力」のこと。
それは、「心」と「体」の両方に存在する、「たましい」の領域とも言えます。
ヒルデガルトは、私たちの身体、宇宙のすべてに、
「まるで樹液のように、ヴィリディタス (いのち)が遍満している」と言います。
そして、心や体の「病」とは、その「ヴィリディタス」の不足か、不調和があるから起こる、と考えたのです。
彼女は、ハーブや、歌、クリスタルなど自然の力を使って、その「ヴィリディタス」を、調和の状態に戻すための
治療法を提案していきました。
ヒルデガルトが、この「ヴィリディタス」という言葉で表そうとしている、「みどり」の生命力。
それは、一体、どんなものだったのだろう・・。
ヒルデガルトの見た「みどり」を、実際にドイツで感じてみたい・・。
こんな思いから、この夏、彼女の足あとを、たどってみることになったのでした。
<ヒルデガルトの人生>
ヒルデガルドが活躍したのは12世紀、まだ、ドイツでも魔女狩りが本格的になる前のこと。
彼女は小さい頃から「炎のように輝く光」の「幻視」があり、他の人にはそれが見えないことを知って慄きます。
以後ずっと、「光の存在」からの言葉、ヴィジョンなど、さまざまなメッセージを受け取り続けます。
ヒルデガルトの描いた自画像
彼女はまた、持病や、全身の激しい痛みなど、逆境の多い人生でもありました。そういった苦しみの体験からか、
彼女は自らが「弱い存在であること」、「弱いことの強さ」、「謙虚さ」ということを持ち続けたといいます。
40歳の頃、彼女はついに、「生きている光」から届けられるヴィジョンを、書き記すことを決心します。
そこから
様々なハーブ(植物)やクリスタルを使った治療の書を書いたり、
歌曲など、音楽の作曲、
修道院の建築、
様々な癒し(ハーブや、触れることでのヒーリング) など・・
「生ける光」の存在たちと共同創造をし、
文筆・作詞作曲・工学など、本当にさまざまな領域で、豊かに活動を続けました。
もし、彼女が、もう少し後の時代に生まれていたら・・
光や、神的な存在から、直接メッセージをもらっていた、
ハーブを使った癒しをした・・、などというと、間違いなく「魔女」認定されていたことでしょう。
そう思うと、本当に12世紀に生まれてくれて良かった〜。
彼女は、当時の王など権力者達と手紙などでやりとりをする中で、自分のヴィジョンの価値を認めてもらい、
政治的にも、女子修道院を守り、その立場を尊重してもらうことに成功します。
ヒルデガルトの活躍ぶりは、当時の女性としてはあり得ない、遠方での説法にも何度も出るほどだったとのこと。
その信念と行動力の、なんとパワフルで、力強いこと・・!
欧米では、彼女こそ、女性の権利を主張するフェミニズム運動の先がけではないか・・
と、最近、その重要性が見直されているといいます。
思うにきっと、ヒルデガルドの強さは、
「神からのヴィジョン」といった超越的な体験や、苦しみなどを「受け入れる」という女性的な力。
そしてそれを、現実的な活動として「行動」し、「具現化」させる、男性的な力。
その両方(女性性・男性性)を、調和させて併せ持っていたことにあるのではないかしら・・。
そしてそれは、今日の私たち女性にとっても、とても大切なあり方なのだろう。
・・などなど、いろいろと思いをめぐらせながら、ライン川周辺の、彼女に関わる場所を訪ねていきます。
ビンゲンにある、ヒルデガルト博物館。そして、彼女のハーブガーデン。
リューデスハイムの修道院。
それぞれの場所をめぐるたび、植物のみどりが、生き生きと、目に飛び込んできます。
今回の旅の中で、一番印象的だったのは、
ヒルデガルドが最後に建てたという、アイビンゲンの修道院を訪れたときのことです。
その聖堂に入った瞬間、空間に満ちている静謐さに、打たれました。
こころの中のざわめきがすーーっとひいて、
あたたかい光に満たされたような気持ちになり、思わず涙がこぼれました。
その聖堂は、今でも、60名ほどの修道女さんたちによって、毎日祈りが捧げられているといいます。
そこには、ヒルデガルドの、そして彼女に連なるたくさんの女性たち・男性たちの思いが、
祈りになって、鳴り響いているようでした。
ヒルデガルドは言います。
「すべてのものは、神の根源からの響きを持っている。」と。
私がヒルデガルドの足あとから受け取ったものは、その「響き」だったのかもしれません。
それは、「宗教」という枠をも超えて、私たちの身体と、足元に、まぎれもなくひろがっているもの。
私がずっと見たかった、ヴィリディタスの「みどり」。
その「みどり」は、この旅を通じて、生き生きと、確かに私の内に、再び息づいたように思います。