トラウマと、ソウル・リトリーバル「魂の取り戻し」

「お前の国に戻っておいで。  

ユルトのところへ、明るい火のそばへおいで。

父さん、母さんのところに戻っておいで。・・・」 

テレウートのシャーマンの歌より

 

<トラウマと、ソウル・リトリーバル「魂の取り戻し」>

昔の人は、何かショックなことがあった時、その人は「たましいの一部を失う」と考えた。

古代、癒し手であった「シャーマン」と呼ばれる人たちは、その失われた「たましい」を、

目には見えない世界へ探しに行き、もう一度、その人の体に収める、という仕事をしていたという。

この風習は、今でも各地に残っており、たとえば沖縄では、何かショックな事があると

「まぶい(=たましい)落とし」が起こり、落としてしまったまぶい(たましい)を、

身体にとり戻さないといけない、とされている。

日本国外でも、先住民族の文化が残る地域では、「失われたたましいを、身体に取り戻すこと」

によって、様々なショックを癒してゆくこと、つまり「トラウマ」的な治療が行われてきた。

トラウマ療法の第一人者、Peter Levine ピーター・ラヴィーンは、

現代のトラウマの治療と、古来シャーマンたちのしてきたことについて、こう述べている。

「私たちは、言葉では言い表せないが、魂のレベルでトラウマを感じ取っている。・・・

シャーマン的なアプローチでは、シャーマンが魂に向かって肉体に戻るように呼びかける。

ソマティック・エクスペリエンシングでは、失われた、あるいは断片化された本質的な自己のパーツを、

自分で再統合することによって、自分自身の治癒を行うのだ」。

(ピーター・ラヴィーン「ソマティック・エクスペリエンシング入門」より)。

 

「トラウマ」というものは、「たましい」と呼ばざるを得ないような、心身の深い領域に影響を及ぼす。

そして、古来のシャーマニズムでは、シャーマンと呼ばれる治療者が、異界へ魂を取り戻しに行き、

その人の心身に吹き込む役割を担っていた。

一方で、現代の私たちは、自分たち、一人ひとりが、自分自身の失われたたましい

(=心理学的に言うと、無意識下に行ってしまった、心的エネルギーや、自己のパーツ)

を探し、取り戻すという、シャーマン的な役割を担っていると言えるだろう。

その旅は、できるだけ「安全」で、また「楽しい」ものである方がいい、と、私個人は思っている。

自分自身も、「たましい」を取り戻す道を学び、歩んでくる中で、

少なからず、どのようなことに気をつけて、目配りし、

どのような順番で道を歩むと安全か、様々な情報を得ながら、たくさんセラピーを受けながら、学んできた。

現代の「セラピスト」という役割は、「シャーマン」ではない。

あくまで、来談された人が主役になって、

「たましい」を取り戻す旅を、安全にすすむように見守り、行き道を案内する、ガイドのような役割だと思う。

私も、セラピストの時は、安全に、またできるだけ遊び心を持って、

その人の「たましいへの旅」を信じ、伴走できる者でいれれば、と願っている。

 

心理療法は、その根っこを、「シャーマニズム」という、古い伝統に持っている。

一方で、現代では、脳科学や神経系の働きなど、どんどん新しい知見も織り込まれており、

より安全に、また右脳と左脳を統合していくような流れになってきている。

とても奥深く、古代と現代が交差するような、刺激的な領域に片隅でも関われていることを、今は幸せに思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心理臨床学会での発表 −シャーマニズムと心の癒し

9月2日(日)は、心理臨床学会のシンポジウムで、発表をしてきました。

と言っても、実は私は、論文や発表関係は、めっぽう苦手なほう。
いただいたテーマ自体は大好きな分野だったのですが、
ここしばらく、発表準備にパソコンに向かっては、グタッ・・と挫けそうになることもしばしばでした(笑)。

今回のシンポジウムのテーマは、<心理臨床における「見えない身体」>というもの。

「見える」身体とは、いわゆる「肉体」で、物理的・生理学的なものを指します。
それに対して、「見えない」身体とは、こころと身体の「間」の領域。
いわゆる東洋で言う、「気」や、ヒーリングでの「エネルギー」、
ヨガの体系の中のチャクラの象徴に関係するような、「目に見えない」身体領域のことも含みます。

「目に見えない」だけに、ややもすると「あやしい」テーマと括られがちです(笑)。
でも、言語化や実証が難しい領域なだからこそ、今後も、いろいろな角度から検討し、
しっかりと語られる事がとても大切なテーマのように思います。

このような、「目に見えない」身体の領域は、古代から、様々な文化における精神的伝統において扱われてきました。
私自身は、アメリカなどに住んでいた頃、シャーマニズムに関連する癒しの方法を学んでいたこともあり、
今回は、「シャーマニズムにおける見えない身体」というテーマで発表させてもらいました。

発表の中では、シャーマニズムにおける、「病(やまい)」についての考え方や、その治療の方法。
そして特に、その「トラウマ治療」についての考え方を見てゆき、その方法論と、現代の心理療法との比較をし、
心理療法は、「インナー(内なる)シャーマン性」を育む場であることを、考察しました。
(またいつか、このブログでも、もう少し詳しく書かせてくださいね。)

シンポジウムを経て、「身体(リアリティ)」と「こころ(イメージ)」が結びつく、
「たましい」とでもいうような領域=「見えない身体」を大切にしてゆくことは、癒しにおいて 、とても重要だということ。
現代の心理療法において、この領域を考えてゆくことの大切さを、再確認しました。

今回の学会では、かつての恩師たちに、10数年ぶり(!)に再会できたのもなつかしくて、嬉しいことでした。
臨床心理学という分野の、最近の流れも感じたり。
学生に戻ったかのように、ちょっと緊張感もあり、よい刺激になりました。

とにもかくにも、無事終わって、ほっと一息・・。

しかしようやく夏の暑さも終わり・・と思っていたら、
思いがけなく大きな台風が来たり、北海道での地震など。
今年は、災害が心配な状況が続きます。

少しでも早く、落ち着いて過ごせる日常が、戻ってきますように。