トラウマ や、こころの癒しを考える時に、
「からだ」の感覚をみてゆくことが大切になる、というのが、
最近のトラウマ・セラピー界隈の定説となりつつあります。
なぜなら、私たちのトラウマの体験は「からだ=無意識」にこそ、刻み込まれているから。
実は、私たちは、これまでに体験したことすべて、
(今世の記憶から、たましいにおける過去生(信じる方は)の記憶もすべて・・)
を、「からだ」に記憶し、携えています。
「トラウマ」とは、過去に、自分にとって、何か衝撃の強い体験をした時に、「身体」において起こります。
それは、たった一回の、大きく衝撃的な体験のこともあれば、
小さくても、ストレスになる体験が何度も繰り返されることにより、「トラウマ」になることもあります。
(そう言う意味では、この世の中に、「トラウマ のない人」は、ほぼ居ないのですが。^^)
どちらにしても、トラウマ とは、その時、圧倒されて、処理しきれなかった感情や、衝動
(その時にしたかったのに、できなかったこと)
などが、身体の中にエネルギーとして溜まっている、「冷凍保存」されているような状態なのです。
ヒーリング的には、「ブロック=固まり」とも呼ばれます。
ですので、トラウマ を解放しようとするときには、
過去のショックだったできことを単に認知レベルで思い出して「お話」するというのでは、
十分でないことが多いのです。
(むしろ、準備なく、トラウマ 体験を「お話する」ことは、しんどくなる=再トラウマ化する可能性もあります)。
前回お話ししたような、リソース(力になるもの)確保の「下ごしらえ」をしながら、
トラウマ の記憶を抱えている、「身体」の感覚に、少しずつアクセスしてゆきます。
そうすることで、時に、意識のレベルでは思い出しにくいような、深い記憶にも、
安全にアクセスし、解放に向かうことができるのです。
わたしはここに、人間にこの、「身体・肉体」というものがあることの、
不思議さ、有り難さや、尊さを感じています。
この「身体」こそが、私たちがトラウマを受け、傷を受ける場所でもあり、
同時に、過去に受けた「傷つき」を解放し、癒せる場所でもあること。
そして、「本当の自分」とでも呼ぶような、私たちがトラウマ を受ける前から存在している、
「自己の神聖さ(=セルフ)」とのつながりを、思い出すことのできる場所でもあること。・・・
人間に、その、「身体」という場所があることの、不思議さと、ありがたさを、しみじみと感じています。
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