8月は、4日間、アメリカで開催されていた、心理療法士への「セルフコンパッション」のワークショップに、
オンラインで参加していました。(まだ、時差ぼけ中です。)
「セルフコンパッション」とは、「マインドフルネス瞑想」と同じく、元々は東洋の仏教の流れをくみつつ、
西洋で発展してきたワークの一つです。
この「セルフ・コンパッション」では、私たちの多くが、セラピーに求めること・・つまり、
自分の「苦しみをやわらげる/苦しみとともに生きる」方法、「自分へやさしくできる」方法を、
じっくりと掘り下げ、瞑想をしつつ育んでゆきます。
<コンパッションとは?>
では、「コンパッション」とは何なのでしょうか? 少し聞き慣れない言葉かもしれません。
コンパッションとは、日本語では、「慈悲・慈愛」・「共感的なやさしさ」などの意味になる言葉です。
私たちはたいてい、「周りの人には優しく、親切にしなさい」と教えられ、育つことが多いので、
自分以外の人に「やさしさ・思いやりを向ける」という考えには、比較的、慣れている事が多いです。
ところが、その「やさしさ」を、「自分の内側(=セルフ)に向けて持つ」ということを、
「意識的」にしてきたという人や、「得意」という人は、もしかしたら多くはないのではないでしょうか。
また、私たちはみんな、人生の中で、大なり小なり、傷つく体験、トラウマ的な体験を受けつつ、
ここまで生きてきています。
トラウマ的体験や、「生きづらさ」を抱えている程度が大きいほど、「自分へやさしさ、思いやりを向けてゆく」ことは難しく(時にとても不快で、荒唐無稽なことにさえ)、感じることも、多いものです。
そしてそれは、心のはたらきとして、とても自然なことです。
(自分に優しさを向けない事は、傷ついた体験の「痛み」から守る働きもあります。)
しかし、たとえそんな中でも、少しずつ「セルフ・コンパッション=自分へ優しさをむけること」
にとりくむことで、「苦しみ」を受け入れながら、自分をいたわれるような、
心・身体のあり方へ変化させてゆくことが、可能になってゆきます。
これは、自己治癒的な「ケアのシステム(内なるセラピスト)」を、自分の内側に育んでゆくこと」
と言い換えることもできます。
最近の脳・神経系の研究では、私たちの脳・神経系=心のあり方は、「可塑性」(変わることができること)
があることが、分かってきています。
自分の内側に、この「ケアのシステム」を安定して作ってゆくことで、たとえ苦しみのただ中にあっても、
思いやりと共に自分を受け入れ、しなやかに存在する心身のあり方に、少しずつ変容してゆくことができる事は、
人生において、本当に価値が大きいことだと、私は思っています。
セルフコンパッションの本 (C.Neff) の中には、こんな文言があります。
・・「あなたの人生でただ1人、年中無休で優しさと思いやりを提供できる人物。
それは、あなた自身に他ならない。」・・
もし、24時間、自分が困った時や苦しい時に、いつでもサポートしてくれる「応援隊」が、他ならない
「自分の内側」にあるとしたら、どれだけ心強いでしょうか。
そして、それが自分で、習慣によって、より大きく育んでゆけるものだとしたら、どうでしょうか・・。
だいぶ、お得(!)ではないでしょうか^^
そしてこれは、決して「頼れるのは自分しかいない」という、「閉じられた」意味ではありません。
時には、他者を頼ること、「他の人にサポートをお願いできる」ということも、とても大切です。
実際、他者を頼ってから、はじめて自分の内側にも「応援隊」が認識できてゆく、という段階も存在します。
重要なのは、この両者(内側と、外側のサポーター)のバランスを視野に入れることです。
そして、それでもなお、24時間一緒にいる、「自分の内側」に焦点を当てて、
自分の「ケアシステム(セルフ・コンパッション)」を育んでゆくことは、何にも変えがたい宝物になると、
私自身、体感しているところです。
・・少し長くなってきました。
次回には、この自分の内側へと目を向け、「やさしさ」を育み、苦しい時に、その「やさしさ」を届けてゆく、
「セルフコンパッション」について、さらに具体的に、お話ししてゆきたいと思います。
(②に続く)