いかがお過ごしでしょうか。
今は、生活の中の「当たり前のこと」を「失う」という事が、
どんな方にも、程度の差はあれども、さまざまな形で起こっている時期だと思います。
今までの生活、人とのつながり、安全の感覚・・・
仕事や、行きつけの場所、自分の空間、関係性・・・
「失う」ことには、様々なものがあります。
大きな、または小さな「失う」ということが積み重なる中で、
「無力感」や「悲しみ」、「イライラ」など・・様々な感情や反応、
心や体のゆらぎが出てくることも、増えているかもしれません。
もれなく、私自身も、様々な反応に揺れる日々です。
<「失う」ことへの反応の仕方>
キュブラーロスというアメリカの医師は、人が「死ぬこと」に向き合った際に、
様々なものを「失うこと」を受け入れてゆくプロセスについて研究していました。
そして、そのプロセスには、5つの段階がある、としました。
それは、
① 否認・・「失うこと」や「死」ということを、認めない段階。無感覚になり、考えるのを避ける。
② 怒り・・自分や他者へ怒りを向ける段階
③ 取引・・奇跡を期待したり、何かにすがろうとする段階
④ 抑うつ・・エネルギーが低下して、何もできなくなる段階
⑤ 受容・・受け入れてゆく段階
の5段階です。
これらの段階は、直線ではなく、それぞれを行ったり来たりしながら進んでいくとされます。
そして、その有機的なプロセス中で、人は少しずつ「失うということ」を受け入れ、
人生に統合してゆく、とロスは言いました。
この5段階プロセス、まさに今、私たちが「日常」を失っている状況への、
「喪失への反応」と照らして考えても、色々と腑に落ちる部分があるのではないでしょうか。
例えば・・・
<否認>「自分はコロナと関係ない」「コロナは大したことない」etc・・と考える
<怒り>国、発信者、家族など・・etc、外側の何かに怒りを向ける。自分にイライラしたり、内側に怒り向ける。
<取引>例えば一つの健康法だけ、など、何かにすがろうとする。
<抑うつ>エネルギーが低下して、何にもやる気がでない。気分がふさぐ。
・・・
私自身、どれにも、少しずつ心当たりがあります(笑)。
でも、上記は全て、人が日常を「失った」時に、少しずつそれを受け入れ、
適応してゆくために起こる、<自然な心の反応>なのです。
・・・
もし良ければ、「今自分は、どんな反応を多くしているのかな?」と少し振り返ってみてもいいかもしれません。
(もちろん、この中の、どの段階にもあてはまらない場合もあると思います。
もし、ワクワクや、心地よい時間がたくさんあったら、それはそれで素晴らしいです!)
今の自分のあるがままの「あり方」に気づくとき、自分を少し離れたところから、客観視することになります。
そうして今の状態に「気づく」こと自体が、まずは心を整理してゆくことや、安心感へと向かう力となります。
<「受け入れること」>
昔、キュブラー・ロス本人が出演していた番組を見たのですが、彼女のTシャツに大きく、
” I’m not OK. You are not OK. It’s OK. ”
(私はOKじゃない。あなたもOKじゃない。それで、OKなのよ。)
と書いてあったことを、鮮明に思い出します。
そのときは「どういう意味・・?」と思ったのですが、
今になってようやく、その言葉と、彼女の伝えていた「受容」ということの意味が、わかるような気がしています。
・・・
—私にも、あなたにも、まぎれもなく、弱さや、しんどさ、苦しみがある。
それは、大丈夫。自然なことなのよ。(It’s OK.)—
・・・
彼女の「受容」とは、私たちの人間としての弱さや、苦しみをも、
あるがままに見つめて、「肯定する力」なのでしょう。
それは、
・・「もし今、自分や周りが「OKじゃない」ことに気づいたら、
まずはそれに「気づいている」こと自体を肯定しよう。
そして、そこから、また、始めよう。」・・
というようなことではないでしょうか。
そこには、極端な悲観主義でも、楽観主義でもない、
「慈悲の心 Compassion(悲しみを、あるがままに気づく心・いつくしむ心)」
のようなものが、あるように感じました。
私たちも、今、自らの内に起こっている、様々な反応に「気づく」ことができます。
その「気づき」は、自分自身へ、そして周囲への「慈悲(悲しみ・苦しみをあるがままに見つめる心
真の意味で自他への思いやり)」へと、つながっていくと思います。
その心を持って、これから、自分がどんな世界を作っていきたいか・・・今、私自身も、自分の心へ、問うような日々を送っています。
この「痛み」に気づく日々が、きっと、自分や他者への、本当の意味での「慈悲の心 (Compassion)」
を育み、これからの私たちの心の筋力、糧になりますよう。
そして、人生で「さらに良きもの」を生み出す力に、つながっていきますように。